2002年(平成14年)8月20日号

No.189

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(20)

−8月という季節− 

 8月になると、なぜか思い出すことがある。ふだん忘れていた記憶が、不意に蘇えってくるのである。なぜ、そうであるのか。説明のしようもない。ひょっとすると、8月という季節と関わりがあるのかもしれない。と、そう想うこともある。8月の年中行事には「盆」がある。墓参りに田舎へ帰省する人も多い。亡くなった両親や故郷のことを語る人もいる。こちらも、人並みに墓参や帰省を考えたりする。それが「ものを想う」ことに、繋がっているような気もする。
 8月の年中行事には、「盆」のほかにもいくつかある。6日には広島で、9日には長崎で、原爆被害者の慰霊祭。それらのニュースの扱い方は、他の一般のニュースとは異なり、ある厳粛さを伝える。特に広島は原爆第1号による被爆地。広島市民は人類初の原爆犠牲者となったのだから、広島の人々はもちろん、国民は8月6日という日を忘れるわけにはいかない。いや、それよりもっと忘れるわけにいかないのは、8月15日の「終戦記念日」。原爆投下による被害の大きさが、戦争終結を早めた。戦時下に苦難の生活を強いられた国民からすれば、「やっと戦争が終わってくれた」という想いが強かった。太平洋戦争が終わって57年。今の若い人には分かるわけもないが、戦時下に少年(少女)時代を送った世代には、それぞれに格別の感慨があるだろう。
 過ぎ去ったこととはいえ、今、人々の側から掘り起こすべきことも少なくないだろう。それは1つの「供養」にもなるかもしれない。が、単なる「供養」にとどまらないような気もする。そこで、あまり知られていないことを書き添える。戦争の時代に戦地に赴いたのは、兵士だけではない。多くの馬も軍馬として徴用され、海を越えて戦線へ運ばれた。その数は100万頭に及ぶが、戦後、1頭の馬も故国に帰ってくることはなかった。兵士は帰還したが、馬は帰還しなかった。命永らえた馬もいただろうが、置き去りにされたのである。馬産地北海道の十勝には、大陸に送る馬が集められた場所の跡が今も残されている。ところで、戦地に徴用されたのは、馬だけではなかった。犬も軍用犬となった。
 北海道の北見出身のNさんに話を聞いた。Nさんの少年時代のことである。犬好きの彼は、シェパードを飼っていた。それが軍部の目に留まり、軍用犬として徴用された。戦地に赴く兵士と同様、肩に「祝出征」の襷(たすき)をかけられ、軍歌とともに見送られたのである。翌年、もう1頭のシェパードも軍用犬として出征した。どこへ向かったのか、詳しいことは知らされなかった。その後の様子も伝えられることはなく、そして戦争が終わっても帰ってこなかった。愛犬たちは、どこで、どのような日々を過ごしたのだろうか。戦争の無残さが、少年の心に残した傷跡は大きい。
 「たかが、馬」に対して、「されど、馬」と言い得るならば、同様に「たかが犬」と言うべきではない。「されど、犬」なのである。
 8月というのは、切なくなる季節でもある。

(宇曾裕三)

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