2002年(平成14年)5月20日号

No.180

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
GINZA点描
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

 

追悼録(95)

 葉隠聞書には「武士道とは死ぬことと見つけたり」とある。葉隠は佐賀藩士、山本常朝が同藩の士、田代陳基に語った武士道、逸話、由緒、噂などをまとめたものである。出来上がったのは1716年(享保元年)というから今から286年前である。この言葉を文字通り解釈してきた。ところが、手元にある同期生、永田光男君の著書「葉隠は生きることと見付けたり」(1980年1月発行、自費出版)には、常朝の本心は「生きること」を切望したと説いている。常朝が現実に直面する武士の死は、将軍、藩主の権力に圧迫された悲惨の感が深かった。泰平の世に、潔く花と散る武士の戦死はない。また相身互いの交際に意地をはり、無益な人命軽視の憂いもあった。葉隠には一見、死を唱えながら、「生」の願いがにじみ出ているというのである。
 当時、永田君から直接この本を頂いた。本人の署名もある。永田君には申し訳ないが、仕事にかまけてその本を丁寧に読まなかった。いま読み返してみると、納得する事が多い。
 例えば、こんな記述もある。「武士道は死に狂いである。本気で大業は出来ない。気違いになって死に狂いするまでである。武士道に分別ができれば最早遅れるのである」
 筆者にも経験がある。疑獄事件の際には、狂気にならなければよい仕事は出来ないとつくづく思う。今の新聞記者は物分りがよく、分別があり、よく妥協する。一見よさそうにみえるが、これではことの真相、真実を見極める取材、企画はできない。先ず、攻撃的な取材は無理である。
 「毎朝毎夕、改めては死に、改めてはしに常住死に身になりている時は、武道に自由を得、一生落ち度なく、家職を仕果すべきなり」ともいう。日常死を覚悟しておれば、道は開ける。審陽総領事館事件の副領事の対応をみると、武士道のかけらもない。戦後57年、武士道精神を学ぶのを忘れ、なおざりにしたつけを見る思いがする。岩波文庫の「葉隠」(上、中、下、和辻哲郎・古川哲史校訂)には「葉隠の思想には民主主義の現代にあってももなほ滋味豊かなもののあることを信じて疑わない」(古川哲史の「はしがき」より)とある。永田君と「葉隠」について話をしたかったが、彼は平成元年10月、この世を去っている。折にふれて、永田君の本を手にするつもりである。

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts。co。jp