安全地帯(10)
−軍隊の青春時代−
−真木 健策−
静岡県袋井市高尾の鈴木勇さんから「私の波瀾の人生」と題した人生記が送られてきた。この10月で満85歳(大正6年10月24日生まれ)になるのと、対日講和条約署名(1951年9月・発効は翌年4月)50周年を記念して、書き綴ったものである。
鈴木さんとの出会いは昭和30年代後半で、掛川市の市役所で福祉事務所保護課長、社会課長の要職にあった。温厚ながらもテキパキと仕事をこなし、誰からも好かれ、人望があった。知り合ってから40年以上になるが、欠かさず年賀状を交換、健康を確かめ合っている。
鈴木さんは県立袋井商業学校(現袋井商業高校)を卒業、昭和13年、第3師団名古屋騎兵3連隊補充隊に入隊、中国・南京、上海に渡り、派遣軍兵站基地の警備に当たった。昭和18年陸軍曹長の時、結婚。昭和20年4月、下関に帰り、8月に参謀本部第2部7課付(東京・市ヶ谷、大本営陸軍部)で終戦を迎えた。
その後、復員省で復員関係の仕事に携わったほか、県の地方事務所、福祉事務所に勤務。身障者福祉会長、視覚障害者の会会長、民生、児童委員など長年福祉関係に貢献した。
これまでに社会、児童、身障各福祉、奉仕活動などで表彰、感謝状を受けた事は数知れない。「日本の再生は路地裏文化から」をモットーとしている。今は2男1女、孫6人、ひ孫2人に囲まれて、悠々自適の生活を送っている。このような無名の人たちが戦後の日本を支えてきたのである。貴重な人生記である。 |