2002年(平成14年)5月10日号

No.179

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(10)

−重傷からの復活− 

 毎年、年末になると「今年の10大ニュース」が発表される。今の時期に話題にするのは早過ぎるかもしれないが、2月の「武豊騎手の落馬・骨盤骨折」などは、競馬部門の出来事に入ってもおかしくない気がする。忘れないために、概略を記録に止めておきたい。スポーツに怪我はつきもので、特に競馬では少なくない。だが、武豊は滅多に怪我をしない。それが、なんと骨盤骨折という重傷。他のスポーツを含めても、恐らく初めてのことではないだろうか。
 事故の模様はこうである。2月24日の中山競馬第3レース。騎乗したのはキッズワールド。スタートから手応え十分。無理なく好位3番手を追走。ところが、勝負どころの3コーナーで事故が発生。キッズワールドが骨折し、前のめりに転倒。馬上の武豊はダートコースに叩きつけられた。後続の2頭はこれを避け切れず、覆い被さるように転倒した。
 馬の突然の脚部故障による落馬は避けようがない。時速60キロのスピードで走っている馬の上から叩きつけられたのである。そこを後続の馬に蹴られていたら、あわや惨事になるところだった。すぐに救急車で病院へ運ばれたが、骨盤骨折で全治3〜6カ月の重傷と診断された。クラシックシーズンを前にして、すべての騎乗予定が白紙になった。これまで国内で落馬による休養はなく、前日の阪神9レースでJRA通算最速の1万回騎乗を達成したばかりだった。
 その武豊が、懸命の治療とリハビリを経て、2カ月後にレースに復帰したのは、驚異的なことというほかない。さすがに初日こそ勝てなかったが、2日目の4月21日には5つのレースに騎乗して4勝。特に後半の3レース(特別レースと重賞レース)を3つとも勝つという離れ業を見せた。予想以上に早い復帰を喜ぶとともに、もっと静養が必要ではないかと、心配するファンもいた。心やさしいファンが、武豊にはいる。
 その翌週の4月28日、騎乗を1度は断念していた天皇賞(春)にも、騎乗のチャンスが与えられた。ジャングルポケット、3番人気。重過ぎるほどの期待を背負い、なおかつ武豊は逸る馬の気を抑えることに苦労した。大胆な後方待機作戦。直線コースに入ると後方から鋭く伸び、先行馬群を次々に交わした。だが、蛯名正義騎手騎乗の1番人気、マンハッタンカフェにクビ差届かなかった。負傷時の状況からすれば、当日は騎乗さえ叶わないはずだった。それが騎乗でき、敗れたとはいえ2着。しかも、クビ差まで詰め寄った。そのことに感動したファンも多かった。
 骨盤骨折の重傷と、それからの復活。これも1つのドラマである。ちなみに、1、2着した2人の騎手は同期のよきライバル(33歳)。あの事故の日、蛯名騎手は病院へ見舞いにも駆けつけている。ドラマの陰に友情のあることも書き添えておきたい。リーディング争いでは、それぞれ関東・関西のトップの座にあることも。

(宇曾裕三)

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