2002年(平成14年)5月1日号

No.178

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(9)

−公正な審判− 

 政界はもとより、あらゆる分野で、いまほど悪や不正、疑惑が多発した時代はあるまい。法を守るべき検察庁の公安部長まで不正を働いていた。ある種の病原体が蔓延し、人間の正常な遺伝子に突然変異をもたらしている、というべきだろうか。
 汚染されていないのはスポーツの世界だけだと思っていたが、そうでもなさそうだ。ソルトレイクの冬季オリンピックでも、審判の在り方が問題になった。審判まで不信となると、スポーツは成り立たない。スピードスケートの場合は、フィギュアと違ってタイムを競うのだから、判定にも疑義の生じることが少ない。それでもフライイング気味のスタートや選手の失格処分に、すっきりしないものを感じた人も多かった。
 タイムを競う他のスポーツの場合はどうだろうか。陸上競技の短距離などのほうが、観衆にははるかに明快である。セパレートコースという点も、大きい要素といえるだろう。もう少し複雑なスポーツの場合を見てみよう。例えば競馬である。タイムがものをいうスポーツとはいえ、馬が走るのだから、また違った審判の難しさがある。面白い事例を取り上げよう。
 公営の福山競馬場(広島県)で、こんなことがあった。9頭立てのレースだった。1頭が暴れてゲート内で突進。ゲートが開いて他馬も飛び出した。最初の1頭のスタートが正しいスタートでなかったので、スターターはカンパイ(競馬用語で、スタートのやり直しのこと)と判断し、カンパイの合図をした。だが、9頭の騎手は合図に気付かず、コースを1周してしまった。このレースの場合、どのような処置をしただろうか。ひとつ考えてみるのも一興だろう。
 結論から言えば、カンパイはしなかった。すでに1周して、「全馬の消耗が激しい」と判断したからである。競馬のモットーの第1は「公正な競馬」であり、能力を十分に発揮できる状態であることが不可欠の条件である。この観点からカンパイは行われなかった。頷ける措置である。結局、「全馬競走除外」という極めて異例の措置となった。つまり、このレースは不成立ではなく、「取り止め」ということになった。
 去年、中央競馬でもカンパイ事件があった。スターターからのカンパイの合図に気付かず、各馬は100メートルから200メートルは走っていた。だが、この場合はカンパイになった。レース後、騎手や馬の関係者から不満の声が聞かれた。特に先頭を切って快調に飛ばしていた騎手の場合は、割り切れないものがあっただろう。馬券を買っていたファンも同様である。まずスターターの手際のまずさ。次いで、その後の処置が妥当であったかどうか。割り切れないものが残った。
 不測の事態はしばしば起きる。その不測の事態における審判の素早い適正な判断と処置。それが望まれることは言うまでもない。せめてスポーツや競馬の世界だけには、迅速かつ適切・公正な判断と処置を期待したいと思うが、如何だろう。

(宇曾裕三)

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