2004年(平成16年)11月20日号

No.270

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追悼録(184)

在満学校の校歌の歌碑がたつホテル

  母校大連二中の校歌の歌碑があるというので、同級生紺野浩一君の誘いで熱海市網代の「ムクデン満鉄ホテル」へ同級生4人と出かけた(11月11日)。熱海で伊東線に乗り換えて三つ目の駅網代でおりる。タクシーで10分ぐらいでホテルに着く。国道135号線沿いにあるホテルの正面には「奉天忠霊塔」がある。これには驚かされた。もともとこの塔は日露戦争の奉天会戦で戦没した23000人の御霊を祀る納骨堂 として奉天(現中国瀋陽市)に建立されたもので、敗戦でとりこわされてしまった。戦没者を祭り、顕彰するのは日本人の義務であると二分の一に縮尺して有志がたてたものであった。
 ホテルの裏山には全満州113校の歌碑が所狭しと立つ。小学校から大学までのものがある。先の22号台風で倒れた歌碑もすくなからずあった。大きな木も根元から倒れている。やっと最近通路だけを整備したという。大連二中の校歌の歌碑は無事であった。その前で思わず校歌を口ずさむ。一番から三番までの歌詞と創立大正13年と刻み込まれていた。平成15年9月ここで13回生の石原三雄さん達が二中の一回生で恩師、牧原一郎先生の偲ぶ会を開いた際、在満州の学校の歌碑の話を聞いて立てることとなり、その年の暮れに出来上がった。費用はホテル側が負担してくれたという。感謝のほかない。二中の同窓生にはあまり知らされていない話である。私が通ったハルピン小学校、花園小学校、ハルピン中学校の校歌もある。悲しいことに歌詞をすべて忘れている。ムクデンとは満州族語で栄える都という意味である。ホテルを経営・運営しているのは満鉄が設立した奉天加茂小学校で学んだ人たちである。ホテルの名前に「満鉄」が付くのもうなずける。満鉄といえば私は流線型特急列車「あじあ」号を思い出す。昭和13年3月ハルピンから「あじあ」号で大連まで944キロの旅をした。たまたま日本にきていたアメリカの記者団を満州に招き、試運転中の「あじあ」号に新京から奉天までのせたところ「アメリカから購入したのか」と聞く記者に「満鉄で設計して自社の工場で製造し、部品も殆ど国産である」と答えたら記者団から絶賛を浴びたというエピソードがある。同行した紺野浩一君、平原千之助君、荒木克明君の三人は期せずして満鉄が創った「南満工業専門学校」の卒業生である。
昼 は支配人の酒井さんが作ってくれた「水ぎょうざ」をいただいた。昔懐かしい味がした。

(柳 路夫)

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