2004年(平成16年)11月20日号

No.270

銀座一丁目新聞

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自省抄(12)

池上三重子

8月17日(旧暦7月3日)火曜日 しぐれもどき

ありがたいなあ。
「自省抄」4部、友人へ郵送了。このことはその都度、大事業成就の観よ。歓びよ。先日、原和歌子士から辞職の件を聞き衝撃。武下洋子士につづく私には不祥事だった。洋子ちゃんは腰痛。目に痛々しい病状だった。特老施設の介護要員数がふえれば殆ど解決できるのではないか? 厚生省は何をボヤついてるの? と感情のさばしりを覚えた。その後洋子ちゃんは再々現れては目に付く仕事? を手伝ってくれる。まったくの自発行為。
 私は嬉しい。
 でも頼ってはならぬ。甘えてはならぬ。
 相手に負担をかけてはならぬ。
 和歌子ちゃんと、ちゃん付けの愛称化した時点での辞職は愛別離苦の苦衷よ。距離的に無理と、同情もなみでなかったにかかわらぬ痛打感だ。
 嘆かないがいい。
 愁嘆は自虐だよ。
 未練がましいのは卑しさだよ。
 苦しさに耐えねば『自省録』をひらけば良い。
 そこにはマルクス・アウレリウスが静かに待っている。古代ローマ帝国皇帝の彼はストア派の哲学者でもある。彼こそ書斎の人であるべきだった。戦野に転々しつつ『自省録』を遺した。
 遺そうとして書いたのではない。
 ただただ、自省のための記録だった。
 だからこそ現代人の目に心に迫り得たのだ。
 皇帝は私の師。私の恋人、私の愛人、過去も現在も、いつまでかの生の涯までも・・・・・。
 無常、即、生きること。
 私は刻いち刻、死者と生者をくりかえして生命体・・・身体髪膚にこの真理がなじみますように・・・。祈ろう。努めよう。やがてはきっとその日がきていたことに気付き感謝に浸されるだろう。
 日録に吐露のペンの一字一字も拝受。 
 無常の真理に気付いたことも拝受。
 先日来の愛別離苦による葛藤の苦衷も拝もたらすこと疑いなし。
 静かに惟いみるがいい。
 生きの経路をふり向いて展望するがいい。俯瞰するがいい。見えるだろう?見えるね。性におもいやるやるのは冒涜とも羞恥ともしてきた・・・下田町の仮寓住居のころだった。
 かっての童女の松永文江さんが、二男一女の母親となって遊びに来ての冗談に、センセイは6年生の女の児でも知っとるこつば知んなさらんじゃろう、と言って笑った。知らんふりしているだけ、と思い、知らないことだらけとも考えた。
 純潔の性は未婚娘の宝物、これは誰に教えられたでもない本能的な自然性。友人のなかにニキビを見るさえ不潔でたまらなかった。言葉にしなかっただけ。生来するものはすべて大事な人間の種の宝もの。放胆な性の解放による歓喜も愉悦も、秩序の系譜に属するそれと価値は同等かもしれない。
 しかし私は秩序の系譜に美と和を見るようである。
 しかし、この見方は私自身に限定よ。不倫だろうと相思相愛の炎の合体感、同体感に否定は働かない。
 思い出すのは恩師・江嶋清一先生・・・。教育学だった。敬愛やまぬお方。小唄のお師匠さんと男女の仲に。君に軽蔑されるかもしれないがと、その事に絡むご家族のこころごころもお明かし下さった。
 四十半ばの臥床の私は、先生、奥様、お師匠さんそれぞれに同情が湧き、それぞれの奥の弧心を茫々と曖昧に思った。
 母よ!
 今日は原さん辞職に愛別離苦の葛藤続き。しかし、折々に通勤距離が悪天候の折りや時にこころ痛み、労いも言葉にしてきたこと。ま、心象の自然に随順しましょう。
 日録に自由に憚りなく吐露!も授かっていますもの!無常永劫の真理のもどうやら気付かせてもらっていますもの!寂寥も、留めおきたい利己の執念も、やがてはグットバイッ、素直な淨淨念々に転化されましょう。
 母よ
 今日は喫茶の日。紅茶に姫シュークリーム。和歌子ちゃん介助。
 たそがれが早く参りました。
 時雨もどきの天候とこころ模様でしたが、總ればやっぱり佳き日の賜りでした。
 高揚も拝受!
 弧心も疎外感も拝受!
 同じ名のですよね。
 例の感謝の念々が芯の・・・



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