2004年(平成16年)4月10日号

No.248

銀座一丁目新聞

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追悼録(163)

枝垂れ桜いくさの裁きの真実(まこと)知る
 

  前から一度行かねばならないと思っていた京都東山の霊山護国神社にあるパール博士の顕彰碑を訪れた(4月9日)。案内のタクシーの運転手はここにパール博士の顕彰碑があるのを知らなかった。7年前の11月にここの境内に建立されたのだが、昭和16年生まれの運転手は東京裁判のラダ・ビノート・パール博士がA 級戦犯28人全員に11人の判事のうちただ1人無罪を判決したのも知らなかった。「今日は勉強しました」と運転手は頭をを下げた。
 朝早かったせいか、顕彰碑の前は私1人であった。石版にプリントされた法衣をまとったパール博士の顔写真にしばし手をあわせる。インド代表として東京裁判に臨んだ博士は67歳であった。温顔で若々しい。来日(昭和21年5月16日)以来帝国ホテルの自室のこもり、2年半に読破した資料4万5千部、参考書籍は3千冊におよんだという。博士がうつる石版の両側に和文と英文でそれぞれ有名な判決文の一節「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには・・・」が刻まれている。
 今年は日露戦争開戦100年である。日露戦争での日本の勝利はパール博士に少なからずの影響を与えている。明治38年、博士は19歳であった。「私は日本に対する憧憬と祖国に対する自信を同時に獲得しわななくような思いに胸がいっぱいであった。私はインド独立について思いをいたすようになった」と回想している(田中正明著「パール博士の日本無罪論」より)。
 帰途寄った平安神宮の庭は枝垂れ桜が見頃であった。観光客が大勢いた。庭園の池に写したその影にしばし見とれた。そして強く思う。「法律のないところに犯罪なく、法律のないところに刑罰はない」これは法治国家の原則である。東京裁判は法律のないところに無理に「裁判所条例」という法律を作り、法の不遡及の原則を無視して裁いたのである(前掲の書より)。この様な無謀な出来事はない。東京裁判の実態が知られていないのを残念に思う。靖国神社に合祀されたA 級戦犯は実は戦犯でなくて殉国者である。合祀されて何らの不都合もない。
 南禅寺の山門入ったところで「この門入れば涼風おのづから」(杉洞)が目に付いた。これをもじってパール博士の顕彰碑の句を思案する。「ここ訪えば法の真実(まこと)の春盛り」(悠々)。なおパール博士は昭和42年1月、82歳でなくなった。

(柳 路夫)

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