2004年(平成16年)4月10日号

No.248

銀座一丁目新聞

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花ある風景(162)

並木 徹

「しっかりしないとね」が口癖であった

 林芙美子を題材にした「こまつ座」の「太鼓たたいて笛吹いて」を見た(4月2日・紀伊国屋サザンシアター)。2年前の7月の初演をみている(平成14年8月1日号「花ある風景」参照)が、全く新しい芝居を見ている感じがする。前回に比べると工夫はされている。舞台の前の幕の素材を良くしたり、障子の桟を細くしたりしているという。そういえば、幕に描かれた原稿用紙が良く浮き上がって見えた。母キク(梅沢昌代)の言葉が蘇る。『「夜中にふっと障子に目をやると、障子の桟が原稿用紙の升目にみえるんだよ、かあさん」・・・ぞっとして、少し休んだらどうじゃいうと、「しっかりしないとね、しっかりしないとね」・・・自分にいいきかっせながら両手でほっぺた、ぱんぱんぱんと何度とのう叩いとった」。「しっかりしないとね」は芙美子の口癖であった。「放浪記」でデビユー以来彼女を駆り立ててきた切ない言葉でもあった。
 林芙美子の自画像がやけに目についた。エピローグでもするすると大きな自画像が舞台中央に下りてくる。芙美子(昭和26年6月28日死去・47歳)の葬儀委員長を務めた川端康成は「会えばよく絵の話をした。文学のことは余しゃべらなかった」といっている。芙美子が自画像を描いたのは昭和7,8年で、芙美子が29歳か30歳の顔である。年譜を見ると、昭和6年11月にパリに滞在、演劇、コンサート美術館に通う。詩人ノジャン・コクトーの知遇を得る。7年7年の1月にはロンドンに遊ぶ。このため「たった半年間のパリ滞在を売り物にするなり上がり小説家」と批判される。5月に上海で魯迅と会う。8年の9月、9日間中野署に留置される。「共産党に資金寄付を約束した」という理由であった。11月、養父の死去により母キクを引き取り一緒に暮らす。この頃の芙美子は「放浪記」がベストセラーになり、新聞小説の連載も引き受けており作家として円熟した頃であろう。その自画像には自然と芙美子の自信が溢れていたに違いない。この自画像を宣伝美術の和田誠さんが大竹しのぶ(林芙美子)に似せて作った。同時に共演の神野三鈴(島崎こま子)、木場勝己(三木孝)、松本きょうじ(加賀四郎〉、阿南健治〈土沢時男)梅沢昌代ら5人の似顔絵を再演のプログラムの表紙に載せた。「見ようともしない人間には何も見えない。聞こうともしない人間には何も聞こえない」という演出家の栗山民也の言葉が今回も胸に刺さった。

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