2004年(平成16年)4月10日号

No.248

銀座一丁目新聞

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山と私

(5)
国分 リン

−夢にまで見た雪の谷川岳−

  猛吹雪に襲われ途中撤退や凍てついた斜面を滑落した夢を見た。スポニチ7期生エキスパートコースに参加して、谷川岳に登る前夜の事であった。スポニチ登山学校に参加し始めたのは3年前。以来、16回の登山訓練を重ねてきたが、今年からは、いよいよエキスパートコースにはいり、その1回目が雪の谷川岳登山となった。未知への挑戦が心を高ぶらせていたに違いない。

谷川岳は群馬県と新潟県の県境に位置し谷川連峰の中心に聳える急峻な岩壁に囲まれた山である。谷川岳の標高は1997mと2000mには及ばないがその地理的特性から、北西の季節風による多くの積雪をもたらし、日本でも有数の豪雪地域となっていて、数多くの遭難者を出し魔の山と恐れられている。とにかく天候次第と思い1週間前から天気図を注意深く見ていた。3月26日は冬型の気圧配置で山は雪だ。でも出発日の
3月27日の天気図は高気圧の勢力が強く張り出し全国的に好天が望めそうだ。よし天候の言い訳は出来ないと、装備の再点検を入念にした。

 参加者は7期生9名と先輩2名、講師は尾形好男、名塚秀二である。尾形,名塚両氏は共に日本の誇れる名登山家である。この講師陣にご指導を頂くのはとても恐れ多い。名塚先生は今年10月にアンナプルナ(8091m)の登頂を目指している。世界に8000m以上の山が14座あり名塚先生は9座(10座-同じ山を2度)登頂され、残す5座に挑戦する覚悟であるという。成功してほしい。心から応援する。

 土合のトンネルの手前からトレースのついた雪道に入る。しばらくブナの林の中の雪の上を歩く。突然展望が開け眼前に武能岳が三角錐の鋭い姿を見せ、圧倒された。

 そこからアイゼンをつけ歩き出す。快晴なので心も晴れやかである。途中東屋の屋根の上まで雪が積もっており、屋根の上が道になっている。マチガ沢の出合から一の倉沢の出合に着いた。一の倉沢は岩登りのメッカだ。尾形先生から衝立岩とUカップ岩をアンザイレンして登り、途中にテントを張り一夜を過ごした話を聴いた。私達には想像も出来ない夢のような世界である。

一の倉沢出合には紅葉の季節写真を撮りに訪れたが、橋も駐車場もトイレも全部雪に埋もれ様子が一変している。自然の猛威の前に、人間の小ささを想う。眼の前の凄い景色にしばらく呆然とし、慌ててがむしゃらにシャッターを押し続けた。

「今年は暖かくこの湿った雪ではピッケルを使う滑落停止の訓練は中止」の講師の声に皆の緊張がとれた。夏道には3mほどの残雪があり、慎重にアイゼンワークでザクザク歩く。途中デプリ(雪崩)の跡があり注意を受ける。デプリが起こる恐れのある斜面はリーダーの指示に従い一人ずつすばやく行動する。途中もし異変があれば瞬時に判断し、行き着くか戻るかを決めて走りこむ事。自然は何が起きても不思議ではないのを実感した。

3月27日快晴、7時始発の谷川ロープウエイに乗り、天神平へ。谷川岳が雄姿を現した。高鳴る胸をしずめいよいよ出発。スキー場の端をピッケル・アイゼンで登り始めた。

熊沢穴避難小屋はまるっきり雪に埋まり傍の積雪計は3m80cmを指していた。おそらく2階建ての家が埋まってしまう豪雪である。青空のせいかたくさんの登山者や山スキーを担いだ人達に追い抜かれた。谷川では今日のような天候に恵まれる事は年に数えられるほどの日数しかないと教えられ幸運をよろこんだ。皆で励ましあいながら谷川岳頂上(トマの耳)へ。頂上に着いた頃は雲一つない青空のもと360度の展望が開けた。厳しかった登りに、友の目には感激の涙が光っていた。白ヶ門から笠が岳・烏帽子岳・朝日岳遠く去年登った巻機山・子持山・上州武尊山・榛名山魁・赤城山魁・苗場山・浅間山等、尾形先生に全部指差しで教えられ皆大喜びした。

西黒尾根の雪庇はよくわかり、踏み外す事故の数多いのも理解できた。折から色鮮やかなハングライダーが宙を舞い、ブルーとホワイトの中に華を咲かせとても綺麗だ。下山は往路を下る。山スキーの団体が滑り降りるのを間近に見、一緒に滑る幻想を見た。凍った所が一箇所も無く結構な急坂も難なく過ぎ、予定通りの時間に下山できた。「アイゼンワークを心配したが皆しっかり歩いていたので安心した。天候を見て4月5月も雪山に挑戦してください」との名塚先生の講評にカメラードの顔は満足と達成感に輝いていた。

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