1999年(平成11年)7月20日

No.80

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
映画紹介
個人美術館の旅
ニューヨーク便り
ゴン太の日記帳
告知板
バックナンバー

映画紹介

7回フランス映画祭横浜’99 B

少年たち

otake.jpg (8731 バイト)大竹 洋子

監督・脚本 ジャック・ドワイヨン
製 作 マラン・カルミツ
撮 影 マニュエル・テラン
音 楽 オクシモ・プッチノ
出 演

ステファニー・トゥリー、イリエス・セフラウイ、
ムスタファ・グマン、ナシム・イゼムほか

1998年/フランス映画/カラー/92

 今年のフランス映画祭で、この「少年たち」がいちばん好きだった。監督はジャック・ドワイヨン、昨年日本で大ヒットした「ポネット」の監督である。ジャック・ドワイヨンは、子どもたちを描くのが本当にうまいと思う。手持ちのカメラが追うその映像はドキュメンタリーに近く、子どもたちの生き生きした様子は、この上なく感動的である。

 13歳の少女タリアは義父との争いがたえず、ついに愛犬のキムをつれて家出した。タリアが足を踏みいれたのは、パリ郊外にある外国人のための大団地パンタン。そこでタリアは同じ年頃のアラブ系の少年4人と知りあうことになる。彼らはタリアにタイソンという渾名をつけた。タリアのきつい目が、ボクサーのマイク・タイソンにそっくりだというのである。

 少年たちはキムを盗んでひと儲けしようと企む。キムがみつからないのでタリアは団地に居すわる。そのうち、4人のなかで最年長のイリエス少年とタリアのあいだに、心が通いはじめる。キムを返そうとイリエスは仲間を説得する。しかしキムはすでに兄貴分たちに横取りされていた。しかも闘犬と間違えられたキムは、結局血だらけになって死んでしまったのである。イリエスは大事なスウェーターにキムを包んで裏山に埋葬するが、タリアの怒りは爆発した。

 ピストルを手に入れたタリアは、まず家に帰り義父と対決する。この男は以前にタリアの友人をレイプし、今はタリアの妹に目をつけていた。義父の追い出しに成功したタリアが、団地にもどってくる――。

 団地に住む少年少女たちは、ほとんどがアラブ系かアフリカ系である。しょんぼりするイリエスと、怒り心頭に発しているタリア。二人を喜ばせたくて、子どもたちは結婚式をあげようと計画する。ショーウインドーから盗んできたウェディングドレスはダブダブで、タリアがTシャツの上から着てもずり落ちそうである。ドレスを手でおさえながら、タリアとイリエスは緑の美しい雑木林の中で、結婚の誓いをかわした。拍手大喝采のうちに、一同がゾロゾロ引きあげてゆくところで映画は終わり、“少年たちよ、君たちには未来がある.……”という美しい主題曲が流れてくる。

 フランスでは経済状態が非常によかった時期に、大量の労働者を海外から受けいれた。しかし景気の悪化につれて、彼らの大半は失業し、見捨てられ、存在自体が不要のものとなった。そういう両親のもとにある子どもたちの生活は、おして知るべしであろう。この映画は、ドワイヨン監督が子どもたちに贈る応援歌で、負けるな、がんばれというドワイヨン監督のメッセージはひしひしと伝わってくる。国家の責任を一人の芸術家が背負ったと書けば、大袈裟にすぎるかもしれないが、ここに登場する少年少女たちの屈託ない笑顔には、誰もが心を動かされるであろう。

 タリアはユダヤ人だから、イスラム教の自分はキスができない、などといいながら、イリエスはタリアのほほにキスする。タリアはにこにこしている。宗教の違いは、子どもたちにはまださほど深刻ではないが、やはり存在はする。それを些細なこととするのか、やがては民族間の憎しみへ移ってゆくことを示唆しているのか、私にはわからない。しかし子どもたちが現実に押しつぶされることなく、身近の悪に染まることなく、その瞳の中で輝いている将来への希望の光が消えることのないようにと、日本の子どもたちの現状もふまえつつ、私は切に願っている。

 原題はPETITS FRERES(弟たち)。ドワイヨン監督が彼らに呼びかけているこの映画には、“弟たち”のほうがふさわしかったとも思う。日本公開未定。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp