2013年(平成25年)11月10日号

No.591

銀座一丁目新聞

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追悼録(507)

神田延祐君を偲ぶ

 友人の神田延祐君が亡くなった(10月11日)享年88歳であった。三和銀行副頭取、第二電電社長などを務めた。葬儀は身内でひそやかに執り行われた。9月13日に東京で開いた陸士59期生の最後の全国大会(参加者330名)に顔を見せたばかりであったのに残念でならない。全国大会に神田君の6中隊3区隊の同期生が8名(夫人同伴1名)も参加していた。他の中隊では同じ区隊の同期生の参加が2,3名に過ぎないのに非常に多い。神田君はしかも乃木神社参拝、東京スカイツリー見学も兼ねた東京湾クリージングにも参加した(参加者151名)。考えてみれば同期生との絆の固さを確認して旅立ったように思えてならない。

 神田君が三和銀行の東京駐在の役員で、私が毎日新聞の出版担当役員の時、折を見てよく神楽坂でご馳走してくれた。当時三和銀行は毎日新聞のメーンバンクであった。しかも毎日新聞は経営が苦しく新旧分離したばかりであった。雑談しかしなかったのだが同期生として「しかりしろ」と激励してくれたのだと今にして思う。7年半の九州生活を終えてスポニチの社長になった時、彼は第二電電の社長であった。再会の宴を持った。ともに64歳。働き盛りであった。彼から「現場には神様がいる」という話を聞く。新聞の世界にも「足で書け」という言葉がある。和やかに談笑しているうちに神田君がよく歌った「霧淡青の」をふと思い出した。「霧淡青の野に乱れ 花影に春をさし招く 春の女神は今日ここに 祭りの庭に訪れぬ あわれ楽しき,この宴 いざ諸共に歌わなん」楽しい宴であった。

 役員定年後、彼は佐藤一斉の「老いて学べば死して朽ちず」という言葉さながらに72歳の時、大阪大学大学院国際公共政策研究科に入学、週に1回東京―大阪を通学しながら博士号を得た。頭が下がる。先輩瀬島龍三さんの追悼集に「いまは亡き心の鑑み遠ざかり」と詠んだ神田君は常に前向きで向学心旺盛な人であった。

 「秋深く絆深めて旅立ちぬ」悠々

 

(柳 路夫)