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オペラ「椿姫」と犠牲的愛
牧念人 悠々
雨が降る夜、ハンガリー国立劇場オペラ・「椿姫」を見る(6月20日・府中芸術劇場)。たまたまシルバー席(5000円・1偕31列51番)が手に入った。後ろの方の席であったが久ぶりのオペラを堪能した。
第2幕第2場が心に響く。アルフレードの妹の結婚のため身を引いたヴィレッタがパトロンのドゥフォール男爵ととともに現れたのをみてアルフレードが男爵に賭けを挑み、連戦連勝する。アルフレードがその札束を心変わりしたヴィレッタに投げつける。みんながアルフレードを非難する中、ヴィレッタはアリアを歌う。「アルフレード、アルフレード、この心のすべてがわからないのよ」・・・切なくも悲しいし調べであった。第1幕の有名な「乾杯の歌」もよいがこのアリアもすてがたい。
時はルイ14世(1643年から1715年)のころである。日本で言えば徳川家光から綱吉の江戸時代。明暦の大火、大阪で歌舞伎が開かれ、近松門左衛門の「曽根崎心中」が読まれたころである。義理人情のために身を引くのは当たり前の事であった。現代のように「自分の事しか考えない人間」多いのとのとは大違いである。
第3幕の幕切れが何とも言えない。結核で倒れパリの下町で死の病床に伏すヴィレッタのもとに父親から事情を打ち明けられすべてを知ったアルフレードがかけつける。かすかに聞こえてくる「アルフレードの愛のテーマ」に「不思議だわ。苦しみが和らいだ」といい、「わたしは生きるわ」と、はたっと倒れ帰らぬ人となる。人間は死後も自己完結の旅に出るという。裏社会で華やかな人生を送ったヴィレッタにとってたった一度だけでの「真実の愛」であった。「生きるわ」は、その愛を完結するため、決意の旅立ちの言葉であった。余韻嫋々として残る。
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