2013年(平成25年)7月1日号

No.578

銀座一丁目新聞

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花ある風景(496)

 

湘南 次郎

 

 鎌倉破れたり
 

 「霊峰富士の峰高く」、文化庁より富士山がユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」が4月30日世界文化遺産登録を勧告したと発表、同時に申請していた鎌倉は不登録となった。世界遺産委員会の決定は、「登録」、追加情報を求めて来年以降の審査に回す「情報照会」推薦書の本質的な改定を求めて再来年以降に再審議する「登録延期」、再推薦すら認めない「不登録」の4段階がある(5/1読売)。その4番目、残念だが鎌倉は、箸にも棒にもかからない不名誉な「不登録」の結果となった

 小生、鎌倉在住として、36年間と日も浅くあまり能書きを言う筋合いではないが、この際ご落胆の県知事、市長をはじめ関係の方々には申し訳ないが、住民税を払っている市民として、あえて言わしていただくことにする。

 平成22年(2010)3月10日に千年といわれる八幡宮大いちょうが倒れ景観が変わる。不吉の前兆か?振り返り、大正12年(1923)9月1日の相模湾沖を震源とする関東大震災をもろに受け、鎌倉は壊滅。ほとんどの神社仏閣は倒壊して、現存の建築物はそれ以後のもの、世界遺産になる訳が無い。ときあたかも、元凶のO、H氏は出ぬが民主党公開大反省会が行われるそうだ。鎌倉市も総じて、関係者がしっかり腰を落ちつけ総括(反省)し、品格のある鎌倉を取り戻すことだ。鶴岡八幡宮や大仏、など歴史ある神社仏閣、遺跡の数々、鎌倉幕府誕生の地として特有の武家文化を生み出して来た古都だが、東京、横浜の大都市を控え京都、奈良と同じく交通至便、両市とご同様のつもりで、マスコミや多くの観光客に持ち上げられ、慢心があったのではないだろうか?この際は「不登録」の烙印を今後の市政のためには良いお薬になったと思っている。

 小生も、昭和51年(1976)、海岸の自然丘陵を開発した分譲地へ東京から引っ越して来たよそ者で先住民から白目で見られたほうだから、余り大きな口はきけたものではないが、思いついたことを書いてみよう。

 まず、かつては静かで落ち着いた町であり、古い民家、商家が点在し、朝は早いが、午後6時には町は真っ暗になる。今の小町通りの喧騒(けんそう)も、うその様、おいしいレストラン、料理やさんや古い商店があり、並んで待つようなことはなかった。落ち着いてお茶を飲んだり、食事をしたり、散策することが出来、時には有名人の方々にお会いすることもあった。山野も自然が残り、ヒザの痛い小生の散歩では土や草の上を歩けるのがありがたかった。駅近くの作家大仏(おさらぎ)次郎邸前で青大将に会ったり、通勤の帰途、狸やいたち、りすのお出迎えもあった。野生の芹(せり)や真竹のたけのこ、蕗、あしたばなども賞味した。

 振り返って今の鎌倉はまさに狂乱状態だ。緑は減り、山の斜面まで家が建つ。曜日関係なく道路は狭く車も人も渋滞、小町通りは外国のバザールのごとくなり若者天国、お行儀悪く、歩きながら何か食べている。寺社でも静粛には程遠い。ゆっくり腰をおろして歴史を偲ぶベンチもない。ハイキングにはトイレが少ない、行列だ。ごみはわんさか市民税で回収だ。それでも最近は多少良いようだが、まだまだ、世界遺産などにはおこがましい。興亡800年の歴史、神社・仏閣・遺跡のある町が日帰り出来る便利の地だ。上品な方々のご来訪を観光地としては大歓迎、もう一度かつての落ち着いた古都鎌倉を取り戻せないか?あたかも、市議会議員選挙が終わったところであり、為政者の力量がためされる。


(附)万一大震災のような事態発生時の救出は、住民のほか、多数の観光客の対処は?三方山に囲まれ海は遠浅、艦艇は達着不能、空挺部隊かホーバークラフトか、処置なしか?為政者の責任重大、想定いかが。