2013年(平成25年)6月20日号

No.577

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

花ある風景(495)

 

相模 次郎

 

大正は遠くなりにけり
 


 私は大正15年1月生まれ。かつて学んだ陸軍士官学校の同期生には故梶山清六もと自民党幹事長や、もとスポニチ社長、銀座一丁目新聞主幹の牧内節男君などがいる。同校とは関係はないが、偶然、年譜によれば大正14年10月生まれの京都府園部出身の野中廣務もと自民党幹事長も同年の87才になるはずだ。今回の国の方針と異なる尖閣諸島「棚上げ論」について、同年のよしみでわれわれ一同自省をふくめ、ひとこと申しあげたい。

 ご同輩!長い間ご苦労さまでした。しかし、たとえは悪いが、採りたての魚は磯、潮の香りがして生臭くない。時がたつにつれ生臭みが強くなる。味も落ちて来る。そして最後は腐臭を放ち捨てられる。かつて、罷免された占領軍司令官マッカーサー元帥がアメリカ上下院合同会議で最後の演説に「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」との見事な言葉を残したのは有名な話だ。たしかに、生涯現役と頑張ってみても80ウン才ともなれば、世間ではもう軍隊で言う列外(れつがい)だ。いわゆる賞味期限切れ。統計表など見てもそんな齢はもう書いてない。保険屋もほとんど相手にしない。周りを見ればコンピュータ機器の大洪水、カタカナ用語の渦巻だ。満員電車に乗れば自分の顔は周りの人の肩ぐらい、胴長短足の悲哀だ。世間様の便利なものの恩恵に浴してはいるが、機器の操作など孫やひ孫に聞かざるを得ないし、聞いてもよくわからない。急速な時代の進運について行くのは、もう無理というもの。歩いている後ろ姿を見てごらん。ガッカリしますよ。貴殿は、戦前派とはいえ軍隊生活は、実戦経験のないわずか5カ月ですね。いくら自己顕示をしても世間はあいた目で見ていないのを弁(わきま)えた方が良い。勿論、言葉はいいが、人生経験豊富と言われればまんざらでもないが、若い人の身になったら本当は跡がつかえ邪魔になっていることもあるのではないか?引き時が肝心。私を含め、もうピンピンは無理、おすすめはコロリです。

 「沈黙は金」。「分」を考え、心に中国礼賛思っても、是非善悪がおわかりなら、中国へ行ってまで、国益に反するようなことは言わぬが花。何でもしゃべるのが正直か、守秘義務は政治家にもあるはず。まして退役とはいえ、もと高位高官の言(げん)だ。もし、これが、反対に中国人が日本でおこなったら、生きて故郷の地は踏めぬかも。宣伝上手の国まで行ってしゃべった思慮分別のないひとことが、母国ではどんなに迷惑なのか?「毒まんじゅう」で相手にうまく乗せられたのではないか。また、善意に考え、かつて策士の貴殿のこと、なにか深謀遠慮があってのことか?

 日夜、海上保安庁の巡視船に搭乗し警戒監視をしている命がけの若人になんと申し開きをするのか?87年経たものの名誉のためにも、しっかりオトシマエをつけないと三途の川は渡れない。鳩が沖縄かきまわし知らん顔だが、今無冠でも貴殿の場合、学校の修身科で恥を知る(廉恥(れんち))を習ったはず、尖閣の処置知らん顔では済まされない。卑近な例ですが、以前から持っていたお宅の土地の縁石を隣家にいじられたら「棚上げ」にしますか?                                     

 なお、かつて京都府会でご活躍(1982まで府議、副知事などを歴任)のころ、なんのためか、田中角栄首相(1976年ロッキード事件に連座)と国益を左右する領土の話があった由、当時から随分偉かったのだと感服していますが。ま、とにかく、この齢になったら後輩に戦争体験者だ、首相と国家機密のお話が出来たとか錆(さび)が出たようなこと言わず、あとに迷惑かけず、静かに黙し、勲一等、位(くらい)人心を極めた有終の美を胸に静かに過ごしましょう。どうせお互いもう先が見えているのだから。

(ご参考)
 本年6月2日、アジア安全保障会議(シンガポール)で中国より
 「棚上げ論」を持ち出す
 6月3日、野中氏訪中、「棚上げ論」を開陳、早速発言を中国国営通信、テレビで放送
 6月7日より、米中首脳会談

 中国には「遠交近攻の策」という「毒まんじゅう」がある


 付言するが某党首はお齢もお若いし、実行力は素晴らしいが、もう少し慎重にお願いしたい。これも「口は災いのもと」自分の身分を弁えて「この発言の影響は?」と、ひと呼吸おく。思うこと言わないと腹ふくれてしまうのか。正直、雄弁結構だが、人前で言っていいこと、悪いことの選別をすること。われわれも君たちの年頃には、立派な日本を造ることを夢見て、失敗を重ねながらも粉骨砕身、奮闘努力してきた。いまは力無く、名も無く、カネも無し。年寄りは沈黙するけれど、諸君たち後輩の活躍には大いに期待しているのだ。