2012年(平成24年)11月20日号

No.556

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茶説

再び末期医療について訴える

   牧念人 悠々 

 前号の『茶説』について父親をがんで亡くした娘さんが一文を寄せた。次のようなご家族の願いもある。同期生の娘さんだけに涙が出てしょうがなかった。そのまま紹介させていただく。

 此の度の茶説「生死を決めるのは本人か医師か法律か」について、少し私の経験を申し上げさせていただきたいと思います。
 ご存知の通り、父は2年前の9月に癌の再発で亡くなりました。最初に癌が発症したのがその1年9カ月前です。退院の後、抗がん剤を服用し、お医者様のご判断で抗がん剤を切った2カ月ぐらい後から「具合が悪い」と言い出しました。私も何回か一緒に病院に参りましたが、「気のせいですよ」と言われ、7月に余りに苦しがる父を見て「抗がん剤を切ってから具合が悪いようですが」とお医者様に申し上げたところ、慌てて癌を切った病院に回されて、その後、手の施しようの無い状況で「余命3カ月」と宣告を受けました。入院した病院でも「抗がん剤を切った後から」ということを聞き、びっくりして「緩和ケア病棟に回して上げるから、宣告したらどうか?」と奨められました。
 この時の担当医は父の長年の知人でした。私は、この時に父に宣告すべきかどうか大変悩みましたが、結局、「母が元気であったら、どう判断しただろう」ということや、また再発した時には手遅れの状態になっていたことを父がどう受け止めるかということを含めて、言うべきか言わないでいるべきかを悩んだ末に、告知をせずに父を見送りました。
 けれども、この選択についてはいまだに夜も眠れないほど悩んでいます。言っておけば、父はもっと会いたい人にも会えただろうし、言いたいことも言っておけたかもしれないという後悔にもつきまとわれています。しかし、この後悔を生涯背負って生きていくことも、また私の務めであるとも感じていました。
 そのような状況の中で、去年の秋に母が足の怪我から入院し、手術をするには血が足らない、栄養が足らないということから、結局経管栄養を経て、胃瘻ということになりました。胃瘻の者を受け入れてくれる老人ホームに入ることになりましたが、そこのお医者様は母の入所前に、母の様子も見ずに「お母さんのような例を私は良く知っています。もう娘さんの言うことも理解出来ないでしょう?」と決めつけられ、「お母さんを生かしておくのは、貴女の自己満足ではないのですか?」とも言われました。そして「もう保って一年だと思います」と言われました。
 その先生は「尊厳死」なるものを世の中に普及させようと大変熱心に活動され、毎週のようにあちこちで講演をされています。御自分でも著作を出され、終末期医療のエキスパートとして、本を出されたりしています。新聞などに取り上げられています。そして、入所してからも、胃瘻のカロリーを減らすように奨められましたが、私は今のところ、現状維持でお願いしております。なぜならば、この徐々に胃瘻のカロリーを少なくして、「枯木が倒れるように」、死に至る「看取り介護」の委託をすることは、私に取って、父と同様に、母の死に様をも私が選び取ることだからなのです。
 父の告知の際に悩んだとの同様に、その先生から言われたように「母を生かしておくのは私の自己満足か?」ということは、私自身が一番自分に厳しく問いかけています。これは介護に負担を感じている家族には、素晴らしい託宣のように聞こえるかもしれませんが、それを医師とはいえ初対面で言われたことに、私は非常に傷つけられました。これを「看取り介護」とか、「尊厳死」とか言う美名の下で、国会などでも取り上げ賛成をしている人が多いということは、私にとっては大変な脅威です。
 私はここまで「看取り介護」とか「尊厳死」を押しつけることは、ある種のイデオロギーの押しつけではないかとも思っていますが、介護を受ける高齢者の増加に対しては「本人も家族も負担だから」と、多くの人に安易にこのような考え方を刷り込まれていくのではないかと不安に思っています。
 母は認知とはいえ、私だけではなく施設の人達ともコミュニケーションを交わそうし、またこちらの言っていることを理解することもあります。そのような中で一番心強かった励ましは「どこの世界に娘が泣いて苦しむようなことを喜ぶ母親がいるの?お母様は貴女が望んでいることをして上げたいと思っている筈よ」と言って下さった母の後輩の方です。「生きていて欲しい」という家族の気持ちを「自己満足」と言われてしまうことがあり、また家族が違った意味で死の形を選ばされることが現実に存在しているということも、御理解下さい。

 以上である。娘さんの気持ちはよくわかった。終末医療の在り方はさまざまである。明確な答えを出しにくい。患者本人と家族の意思を最大限に尊重してほしいと思う。人それぞれに思いがある。他人が容喙すべきではない。夫人が交通事故に遭いそのまま意識が回復せず3年も植物人間になっているのを看護している同期生もいる。「人間の尊厳」をいたずらに振り回されては患者も家族も迷惑する。ケースバイケースで判断するほかなさそうである。