2012年(平成24年)7月20日号

No.545

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追悼録(460)

戦争で犠牲になった人々を祭祀の鎮魂社

 

 みたま祭りで境内がにぎわう中、靖国神社の本殿左側にある小さなお社「鎮霊社」でささやかに御魂祭りの式が行われた(7月13日)。参列者わずか10人であった。それでも神官6人が執り行う品格ある神事であった。ここの祭神は1853年(嘉永6年)ペリー来航以来の、戦争で倒れた日本人だけでなく外国人も祭祀されている。西郷隆盛も白虎隊員も含まれる。東京大空襲で犠牲になられた方々も祭られている。1965年(昭和40年)7月建立され、毎年7月13日を例祭としている。このことはあまり知られていないが,声を大にしてPRしてもよいことだと思う。近き将来靖国神社もこの『鎮霊社』の形になるのが望ましいような気がする。

 医者で同期生の宇井豊君の誘いで参列した。同期生では青木達雄君も来ていた。東京大空襲で目の前で祖父母、妹を失った滝保清さん(83)は何度でも語ったであろう当時の惨劇を話する。滝さんは江東区の木場公園内に全国戦災者平和記念碑建設を念願して運動を続けてきた人。いまだにその願いはかなっていない。「平和は天から降って来たんじゃない。犠牲になった多くの命があって今がある」という。慰霊事業協力団体であるJYMAの女子学生がいた。彼女は7月7日の大東亜戦争戦没者合同慰霊祭にもJYMAの会員14人と共に参列したという。機関紙『遺烈』を見ると、学生、若い会社員たちが遺骨収集に海外に積極的に参加し、定期的に勉強会を開いている。鎮霊社の祭りは初めてだという。

 靖国神社に昇殿参拝した後、「鎮霊社」に向かう。京極高晴靖国神社宮司も参列された。式は6人の神官によりとり行われ、奏楽が奏でられた。宇井君の玉串奉奠後一同、2礼2拍手1礼をする。無念の死を遂げられた人、志と違って異国で戦争に巻き込まれ死んだ外国人達に改めて合掌する。

 この夜、縁日で境内は雑踏を極める。境内の両側には遺族や有志の人たちの寄進による萬を数える提灯で赤々と灯をともしていた。若者が多いのに驚く。みたま祭りは民俗学者・柳田国男のアイデアで昭和21年7月に始まった(正式には昭和22年から)。この時は長野県遺族会の人たちが盆踊りを奉納した。毎年7月13日から16日まで4日間行っている。今では都心の夏を彩る風物詩と定着している。その雑踏にもまれらがら帰途に就く。はしなくも大正天皇の御製を思い出す。「国のまもりゆめおこたるな子猫すら爪とぐ業忘れざりけり」。


(柳 路夫)