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登山の凍死は恥ずかしい
牧念人 悠々
スポニチ登山学校の校則は第一条『山に親しみ、山を愛し、山から学ぼう』。第二条『登山の基礎的技術をしっかり身につけ、心身を鍛えよう』第三条『常に情誼のあつい人たれ』であった。
昨今、山に登る人々は安易すぎる。登山の基礎知識がないように見受けられる。日ごろからストレッチもしない。山の天気にも気をつけない。せめて『日本海に低気圧があると山は荒れる』ぐらいは知っておいてほしいい。山の機嫌が悪い時は登山を止めた方がいい。山の天気は急変する。5月と言えども冬山なみの対寒準備がいる。『凍死は登山する人の屈辱的なことである』。準備さへしておれば防げる。山の遭難の99%はその人のミスである。
長野県・北アルプス・白馬山(2932m)近くで北九州市の63歳から73歳の医師ら男性6人が死亡した遭難事故(5月4日)は起こるべくして起きた。遭難した6人は白馬山を目指して登山中小蓮華山(2766m)を下ったところで東京の10人の登山グループと会っている。東京のパーテイはこの日白馬大池ペースから日帰りで白馬山を目指したが途中で天候が悪くなったため三国境の先から引き返してきた。
東京パーテイの話では北九州パーテイも『先生どうしましょう』と悩んでいたようである(毎日新聞)。「行くべきか、退くべきか」登山グループのリーダーの指揮が問われるところである。『退く』ことは決して臆病を意味しない。むしろ勇気のいることである。「リーダーは世話人ではない」。パーテイの安全を考えるのが適確なリーダーシップである。これも今回の遭難を招いた一因であろう。
山のベテランでも遭難する。常に細心の注意を必要とする。北九州パーテイにモキリマンジャロを登山した経験者がいたというが、油断をすると山の自然はその人に容赦なく猛威を振るう。自然の前に人間は無力である。山には常に感謝してその御機嫌の良い時に登らしていただくという謙虚さがいる。この心構えさへあればまず遭難は避けられるであろう。まして『低温症』(なんていやな言葉であろう)にかかることはない。この言葉自体に自己の責任回避が見られる。低温症にかかったのは天候が原因ですよといわんばかりである。凍死は防寒対策の用意があれば死なずに済む。それを怠ったのは自分自身である。低温症と言う表現は事態をあいまいにする。このようなことでは今後も山の遭難事故は後を絶たない。そう断言してもよい。
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