2012年(平成24年)5月20日号

No.539

銀座一丁目新聞

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山と私

(86) 国分 リン

― 珍しい景色を楽しんだ「セブ島最高峰オスメニャ山」 ―  

 「はい、ここがセブ島最高峰オスメニャ山(1070m)ですよ。」たどたどしい日本語で現地人ガイ ドのN氏、セブ島観光省の方と見習いの若い女性、セブの旅行会社スタッフと私達の総勢6人、いつの間に地元の村の子供たち2人が前後にいた。頂上から濃い緑の山並みが三方を囲み、残りは青い海とネグロス島と小さな島々である。1時間で登れてのこの景色は最高の贅沢だ。この山並みはほとんど耕されて畑になっていると聞く。登山道も畑のあぜ道を歩く。現地の畑で働いている人も見えた。頂上は広く先端に一人が立てる岩があり用意された日の丸を持ちこの岩に立ち、万歳して記念撮影。セブ島は4月、5月が夏休み30℃の暑さ、この頂は風が通り涼しく気持ちが良い。スタッフが準備してくれた昼食はなんとフライドチキンが2個とセブ米が半分で、とても全部は食べられない。最初から分けてスタッフに渡すと子供たちに上げていた。無駄にせず良かったと思う。ここの景色を見て日本の山・佐渡の「金北山」を思い出した。車座で皆とゆっくりの食事は良いが、お湯を持参して、コーヒータイムがあったらと思ったが、たくさんのセブバナナを準備してくれ、大きく甘く美味しく二本も食べ、満足した。余ったバナナをスタッフが子供たちに上げていた。二人で岩に座り美味しそうに食べていた。頂上でゆっくり景色を堪能した。ここなら高齢者がゆっくり登って海外の山を満喫しセブ島の観光も出来るかなと思った。

 12月に息子と食事をした時に「お母さん、セブ島の山へ登ってよ。」「セブ島って海が観光の主じゃないの。」「いや山もあるから、探検してきてよ。」「飛行時間は、高さは。」「直行便で4時間半、そんな高くないよ。」「じゃ、私一人ではね。山の先生に頼もうか。何日間で行けるの。」「三泊四日で、木曜日出発で日曜日帰国。」「それなら休暇が取れるね。さっそくスポニチ登山学校の片平先生に頼むよ。」「何月ごろが良いの。」「4月が乾季で良いと思うよ。」この話しでセブ島の山登りは決まった。
でも片平先生がフィリッピンの大使館に尋ねても「山ですか。情報はありませんし、地図もないですね。」グーグルアースで探しても山名は出てこなかった。息子に言ったら「セブ島の旅行会社の人たちが下見をしてきたメールを見せるから大丈夫だよ。」下見のメールを読んだら8合目まで車が入ることも分かり、気楽になった。

 4月12日(木)15時、成田を30分遅れで出発。飛行機の中でセブ島に住んでいる日本人と江東区縁で名刺を貰い、「セブ島は良い所ですよ。私は大きな犬を二匹飼い、庭で放し飼いですよ。」スマホで写真を見せ、「ホテルは何処に。」「マルコポーロプラザホテルです。」「それは五つ星ホテルで凄いですよ。気温が高くても湿度が低いので過ごしやすいですよ。」とても嬉しくなった。機内放送でセブの温度30℃と聞きうんざりした。日本時間20時、時差1時間セブ時間19時到着。入国審査や税関に30分、ゲートを出ると息子の友達の米徳氏とスタッフたちが迎えに来ていて一安心。車に乗り飛行場のマクタン島からセブ本島のホテルへ向かう。ここで現地ガイドのノエ氏から注意を受ける。

「絶対に生水と屋台や出店の食べ物は口にしては駄目です。日本人の体には免疫が無いから。」
ホテルは素晴らしく、フロントにも日本女性が居てスムーズに済み、部屋もキングサイズベッドとシングルベッドがあり、一人でお姫様気分である。着替えてホテルの「マンゴーづくしディナー」がプールサイドに準備され、子供たちの水遊びを見ながら、ビールで乾杯。ギターと甘い男性歌手の歌声演奏も始まった。南国気分を味わいながらの初日はマンゴーを味わい尽くして終わった。

 4月13日(金)車がホテルに迎えに来て、いざオスメニャ山を目指し、南下のダラゲテ町へ。朝から道や両脇に若者たちが大勢いて、何か活気を感じる。信号は1機しかなく、車は殆ど中古車だ。バス代わりの派手にペインティングされたジプニーにはどれも20人以上乗り、後ろには車掌代わりの若者が車の外で合図をしていた。このジプニーは本当に多かった。それに畑作地帯に来ると、6人乗りのバイクはもちろん、バイクに荷台をつけたサイドカーも多くなり、ヘルメット無しで、家族全員、子供4人と荷物と夫婦の同乗は日本では考えられない。それにもっと驚いたのは、トラックに野菜の収穫物を満杯に積み、その上に何人も乗った車を見た。周囲の景色も興味深いが、車の間を平気で道路の横断は当たり前、バイクの波とサイドカーを見るのは疲れた。

 話題を変え「マンゴーの木はどれ。」「ブロッコリーを木にしたような、あの木も、この木もそうです。」どこの家にもマンゴーの木はあった。プライベートビーチや、パブリックビーチのそばの街道は澄んだブルーの海が見えたり、縞エビの養殖場があったり、マングローブの林の海など、初めて見る景色だ。また人混みとサイドカーの列が近づくとそこは市場があり、町があった。日本企業の大手製紙工場を右手に見ながら通り過ぎ、いくつかの町を過ぎ、11時にタラゲテ町の役場にある観光省へ寄り、いよいよトレッキング開始。

  車一台がやっとの細い道をどんどん登り、観光省の方が「ここまで。」車を降りたのは11時10分、舗装された道を少し登った時に、リーダーの観光省の男性が「ここからが山へ登る道です。」「えっ、ここ。」キャベツ畑やニンジン畑のあぜ道を歩くが、岩が多い大変な所は手を貸してくれて優しく、息がはずむと「リラックスタイム。」と息を整えさせた。40分ほどでコルに着き、「あそこに見えるのがオスメニャ山です。」そこからは20分で「オスメニャ山」12時10分に登頂。

 登る道と違う下山コース、スタッフが子供たちに何か頼んでいた。すぐに子供たちは走って視界から消えた。急こう配の粘土質の畑の畔を降りる。蔓状の日本の瓜のような実をたくさんつけた畑が一面に広がった横に、白い星形の花をつけた植物があり、「始めての花、名前は」「ブタブタでこれは毒草で触ると痒くなる。」あちこちにたくさん咲いていた。舗装された道に13時30分到着。家畜はなぜか小さく可愛い。ヤギや鶏が飼われ、立派な雄鶏が各家に飼われていた。この地方の楽しみの闘鶏のためと教えられた。家の傍には南国特有の大きな木に赤い花ゴマメーラがきれいだ。後ろを振り返るとここからはオスメニャ山は見える。しばらく車を待っていると、子供たちの集団が来た。そこに頂上で一緒の男の子もいた。車を呼んできてくれたのが分かり、すぐ車が来て、礼を言い乗った。戻るのかと思ったら、違う細い道をぎりぎり通り、アントリームの花畑へ観光省の方が案内してくれた。階段状に何層もアントリームの赤やピンク・白花を咲かせていた。持ち主の家に挨拶に行くとなんと「錦鯉」を飼っていた。「コイ。」そのままの名前であった。日本では切り花で見たことのあるアントリームを栽培している広い花畑に感心した。素晴らしかった。

 初めてのセブ島の印象は、とにかく活気に溢れ、子供たちが多く、南に行くと農家が多い。お米は4毛作が出来る。果物が豊富である。セブ島のビバリーヒルズも行き、貧富の差を感じた。セブ島はスペインの統治下で3世紀キリスト教が普及し、どんな小さな町や村に行っても教会はあり、信仰が篤いことを知った。食べ物は現地料理からスペイン料理、中華はもちろん日本料理もあったが、息子の友達の米徳氏に御馳走になったフィリピン料理が最高だった。また食べに行きたいと思った。
 山友達をたくさん誘って、またセブ島へ行きたいなと思った。