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「米中冷戦」が始まった
牧念人 悠々
「米中冷戦」と言う言葉が言われだした。発端は昨年11月17日オーストラリア議会でのオバマ大統領の演説である。この中でオバマ大統領は「米豪両国は壊すことのできない同盟関係にある。米国は今まで以上に大きく、長期にわたる役割を果たしていく。アジア・太平洋地域で豪州同様、日本やタイ、フィリピン、韓国など同盟国への関与を続ける」(産経新聞)と言明した。前日にはダーウィンに駐屯している米海兵隊300人を2014年までに2500人に増員すると発表している。これは明らかに今や世界第二位の経済台国にのし上がった中国が年々二桁の軍事予算で空母の建造など軍備を増強し宇宙にも関心を示してアジアでその存在感を増してきたからである。つまりアジア太平洋地域でアメリカを中心として豪州、日本、タイ、フィリピン、韓国で中国を包み込もうとい戦略である。『米中冷戦』の始まりと言える。この演説は中国を刺激したのは間違いない。
ここで「米ソ冷戦」を振り返りながら「米中冷戦」を考えるのも無益ではあるまい。第二大戦が終わった1946年2月、ジョージ・ケナン(米国のソ連モスクワ代理大使)は「スターリン政権は民主的な西側に執念深い敵意を持っているので和解の方法はない。彼らは拡張論者でもある。これに対処する唯一の方法は、確固たる封じ込め政策をとることだ」と進言。さらに「アメリカの価値観を宣揚したり、共産圏以外の世界に対する明確な政策を確立したりすることも忘れてはならない」と説いた。そうすれば、ソ連はアメリカに同調するか内部崩壊の道を辿るか、そのどちらかしかないと結論した。これがアメリカの「共産主義封じ込め政策」である。その予言通りソ連が崩壊、1990年冷戦が終わった。だがこの間、かなりの紆余曲折があった。
米国の封じ込め政策から66年、時代は大きく変わった。それでも装いを新しくした「共産主義封じ込め政策」が必要だと思う。トルーマン米国大統領が「世界の平和を維持するためにアメリカは指導力を発揮しなければならない。自由を求める人々の要求に応じなければならない」と「トルーマン・ドクトリン」を唱えた。この精神はいまだに生きている。スターリンと同じく中国も「米国、英国、日本に執念深い敵意」を持っているのを忘れてはいけない。かってその領土を西欧、米国、日本に植民地化され蹂躙されたことがある。
確かにソ連と中国では指導者が異なる。だが独裁政権であるのは変わらない。軍備はアメリカとソ連はお互いに競い合い互角であったように思うが、中国はまだ米国の敵ではない。海軍力もまだまだである。だから軍備増強に狂奔する。その中で第二次朝鮮戦争が起きたらどうなるか予断は許さない。核武装に躍起になっている北朝鮮が暴発する恐れが十分ある。北朝鮮の形勢が悪くなれば「朝鮮戦争」(昭和25年6月から昭和28年7月)と同じく何らの形で中国軍が出てくる。日本も渦中に巻き込まれるのを覚悟しておいた方が良い。日米同盟をゆるがせにしてはならない。沖縄の基地も重要な役割を果たす。普天間基地の移転先に決められている辺野古基地の重要性がここにある。米ソ冷戦時代でも“平和共存”(デタント)であった時もある。それは「軍事敵対関係に対する戦略的代替策」を意味した。ソ連では「イデオロギー」と言う言葉は転覆、宣伝、政治的脅迫、諜報活動といった意味合いを含んでいた。アメリカはその用法を忘れかけた時もあった。キューバ危機、さらにベトナム戦争という失敗も犯している。アメリカが中国と国交を回復したのは1978年12月であった。同時に台湾関係法を成立させ台湾との商業、文化その他の関係の維持、有事の際のアメリカによる防衛、台湾の防衛に必要な武器供与を約束した。米国はしたたかである。
米ソ冷戦が終わる4年前の1986年10月、アイスランドの首都レーキャビックでレーガン米大統領はゴルバチョフソ連大統領と冷戦終結への会談を行った。レーガン大統領は「第三次世界大戦を始めることもできれば世界平和をももたらすことが出来る」といった。ここまで来るのに40年を要している。とすれば「米中冷戦」は2050年代まで続くことになる。この間様々出来事が起きて、その後、中国もいまの「ロシア」のように変わっているのであろうか。
米ソ冷戦の歴史は幾多の不幸な出来事があったことを教えている。これを回避するのが一に指導者にかかっている。それにしても日本人は無関心すぎる。
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