安全地帯(343)
−信濃 太郎−
俳句、詩、短歌に心奪われる
俳句を作り始めて10年が過ぎた。本を読んでいてもやたらと俳句や詩、短歌に目がとまる。しかも雑学的な刺激を受ける。佐伯泰英著「愛憎」―吉原裏同心(15)(光文社文庫)の最後に「黄昏を外八文字に 踏む師走」の句が出て来る。主人公神守幹次郎が吉原炎上の際、助けた花魁薄墨大夫の花魁道中を詠んだ幹次郎の句である。福田利子著「吉原はこんなところでした」―廓の女たちの昭和史―(社会思想社刊・現代教養文庫)によると、遊女のお供である禿(かむろ)や新造が姉さん株の遊女を「おいらがの、え、大夫」と呼ぶ。その言葉が詰まって“おいらん”になったという。花魁は話術に長け、生け花、茶の湯、書道,歌道、香道などの教養があってその品格や教養は一般の女性の及ぶところではなかったそうだ。最上級の花魁が大夫と言った。
さる所に近況を知らせるのに「昨今兼好法師の歌が好きになりました」とハガキに書いた。その歌は「よもすずし ねざめのかりほ たまくらも まそでも秋に へだてなきかぜ」この歌の趣旨は句の頭の部分だけを詠み、次には句の下を逆に読めばわると斉藤栄著『方丈記殺人事件』(集英社文庫)は解説する。つまり『米給へ(よねたまへ)銭(ぜに)も欲し』
同書によると、これは頓阿との問答歌で兼好法師の問いに頓阿は次のように返歌する。「よるもうし ねたく我せこ はては来ず なおざりにだに しばし問ひませ」
頓阿の答えは「米はなし、銭少し」であった。鎌倉時代の歌人は言葉の遊びに長じていたと著者は言う。
第2次大戦中のことである。日本の検閲をくぐりぬけてFBIに届けられたアメリカ人捕虜のはがきは各行最初の2字だけを拾ってつないでゆくとアメリカ軍の損失が現れと言う。「降伏後、アメリカ兵50%、フイリッピンで死亡、日本で30%」。一見当たり障りない文面にアメリカ軍の損失に関する情報が隠されていた(ルドルフ・キッペンハーン著・赤根洋子訳『暗号攻防史』・文春文庫)。
暗号と言えば、次のようなしゃれた詩も使われている。「けしの花が風に散った。花びらはメコン河を流れていった」。
ベトナムのグエン・パン・ナクが200年前タイソンで二人の弟と一緒に流れ者や犯罪者を集めた大反乱を起こした際に地方にいた二人の弟に反乱の日を教える暗号であった(船戸与一著『非合法員』徳間文庫)。ともかく俳句、詩、短歌の広がり、知的連鎖は無限である。己の無知を知るばかりである。
歌の道 深奥無限 冬厳し 悠々
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