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新防衛計画大綱を考える
牧念人 悠々
シンポジウム「新防衛計画大綱への評価」に出席する(2月22日・東京文京区東洋学園大学)。パネリスト宗像久男・元北方方面総監、加藤保・元佐世保地方総監,織田邦男・元航空支援集団司令官、評論家・西部邁さん、司会・冨澤暉・元陸幕長。シンポジウム参加するにあたって「新防衛計画大綱」を一応読んだ。新聞でのある識者の評論で「動的防衛力」「基盤的防衛力構想」などもっともらしい表現を使っているが防衛予算減らしの言い訳に過ぎないというのが記憶にある。シンポジウムは大変勉強になった。注目した点を記す。
「これまでの大綱と違い、政治主導と言うことで行政や軍事のプロを排除して学者に起案させ数名の閣僚で何度か審議した」という。現場を知らないで何が防衛計画か。これまで蓄積した「知恵」を無にして防衛力の充実はできない。また「防衛力はいかなる事態になっても最小限の対応が可能な能力の保持が重要であるそれなのに南西方面の事態対処に偏重しすぎではないか」「防衛力は敵を直接激破する能力の保持が必要不可欠である」防衛力の本質を理解していないようにみえる。
財政難を強調しすぎである。お金のかからない防衛政策に消極的である。「非核三原則」「集団自衛権」「武器輸出三原則」などについてもっと積極的に発言してもよいのではないか。防衛力整備の長期性の認識が希薄である。パイロットの養成には10年もかかる。10年先を予想した施策が必要である。
防衛は一般の経営とは違う。人件費を削るとよい人材が集まらない。ある程度ベテランを残さないと訓練に差し支える。防衛予算は増やすべきものだがその声が聞かれない。最近10年間の主要国の国防費、ロシア;8.63倍、中国;3.92倍、米国;2.26倍、韓国;2.04倍、豪州;1.97倍、EU主要国;1.34倍、日本;0.96倍
日米同盟と言うが核を持つ米国と非保有の日本では圧倒的な差がある。けして対等ではない。核廃絶は不可能なことである。それが実現するかの言うのは間違っている。自主防衛を言うならば核を保有するほかない。専守防衛の自衛隊は米軍が敵に襲われても自衛隊に敵が攻撃してこない以上手出しができないというが、死を賭してでも米軍を攻撃する敵に刃向かわねばならない。それが戦争と言うものである。
会場には若い人も見られ盛会であった。主催したのは2月から公益法人になった「偕行社の安全保障問題研究会」であった。
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