2011年(平成23年)1月1日号

No.490

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花ある風景(405)

並木 徹

 横浜美術館の「ドガ展」を見る

 

 横浜美術館で9月から開かれている「ドガの回顧展」をやっと見る(12月21日)。師走にかかわらず多くの観客でにぎわっていた。エドガー・ドガ(1834−1917)の書斎での肖像画(1895年頃・61歳)ではドガは、すでに白髪で美しい白色の顎髭を蓄えている。面長で眼は優しく黒の洋服のせいか画家というより哲学者の風貌を感じる。ドガが好んで「競馬」の絵を描いたとは知らなかった。パリでは1857年にロンシャン競馬場が出来、また、1863年にグランプリ・レースが創設され、人気が頂点に達した。紳士達の社交場でもあった。ドガにとって「馬と騎手」は重要なテーマであった。日本でファン投票によって出走馬を選ぶグランプリ・レースが出来たのが昭和31年(1956年)。パリより93年も遅い。そのグランプリ・レースが名を変えて、「有馬記念」となり、昨年暮れ61回「有馬記念」(12月26日・中山競馬場)が行われ、競馬ファンをわかした。

 展覧会会場には「アマチュア騎手レース・出走前」(1862年・油彩・1880年代初頭加筆)「障害競馬―落馬した騎手」(1866年・油彩・1880年・1881年頃加筆)「田舎の競馬場で」(1869年・油彩)「出走前」(1878年―80年ころ・油彩)「馬に乗る男」(1887年ごろ・木炭、紙)などが展示されてあった。

 ドガが競馬を描き始めたのは1860年代の初め頃からである。「出走前」の絵には出走前の騎手9人が思い思いのポーズで騎乗して出を待つ“間”を見事にとらえている。カタログによると、ドガは1866年のサロンに〈障害競馬―落馬した騎手〉を出品した際「この画家は絵の中の騎手と同じでまだ馬になれていないらしい」と酷評された。そこでドガは蝋燭で制作した小さい馬でその動きを研究したり疾走する馬の連続写真を模写したりして努力を重ねたという。「馬に乗る男」は木炭デッサンの一つである。彫刻の展示室には馬のブロンズ像が5体あった。「水を飲む馬」「放たれた馬」「荷を引く馬」「駆ける馬と騎手」「跳ねる馬」である。ドガはこの彫刻によって様々な視点から正確に馬の動きを描くことが出来るようになったという。

 なんと言っても一番観客の足を止めたのが「エトワール」。ここの人波はしばし動かない。1877年の第3回印象派展に出品された画である。我々を仰ぐように見る踊り子の、両手を広げた姿勢がまことに優雅、汚れを知らない白鳥さながら見るものを陶酔させる・・・。1870年代にドガが描いた踊り子は数が知れない。エトワールとはパリオペラ座で主役を務める踊り子の中でも特に花形にだけ与えられる称号である。踊り子の絵で私が目をとめたのは「バレエの授業」(1873−76年・油彩)であった。ドガが1872年頃から描き始めたオペラ座の稽古場のレッスンをする踊り子の風景である。ねずみ色のガウンをまとった白髪頭の老教師が木刀のような棒を杖にして教えている図である。老教師に私はドガを見た。カタログには「ドガが踊り子に惹かれたのは、踊り子達もまた、画家自身と同様、終わりなき修練を通じてその芸術性を完成させてゆくものだからではなかっただろうか」とある。ドガが描く“老教師”は私自身でもある。2011年の真白い画布に私は木刀を正眼に構え、同期生の群像による「絆」を主題とした絵を描きたい。