2010年(平成22年)10月1日号

No.481

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追悼録(395)

歌人・石井経夫さん逝く


 スポニチで一緒に仕事した石井経夫さんが亡くなった(5月29日・享年84歳)。スポニチに顔写真入りで死亡記事(6月5日)が載っていたというのに見落としてしまった。私がスポニチに来た時、石井さんは在職36年の役員であった。外勤の経験はなく整理部など内勤ばかりであった。人事に精通した生き字引であった。これに私が個性ある仕事師を適宜に配して「仕事集団」を作り上げて石井さんと共にスポニチの業績をそれなりに伸ばした。定年後短歌に精進した。1日2首を心がけた。歌心は十分にあった。父徳頼さんが作家であったのも影響しているのであろうか。

 私の手元に彼から送られた「戯れ歌日記」その2と「第77期」と「外79期」の三冊がある。その中から私の心に響いた歌を選び石井さんを偲ぶ。

己捨て護りし国よ いまいずこ 礼なし節なし 誇りまたなし
(「平成5年12月8日日本ジャーナリスト専門学校の教壇に立って」私も毎日新聞の論説委員時代ここで教えた。25,6年前だが、この頃の学生は真面目にわたしの話を聞いた)

あわてるん のんびり行くん どふなさる 終着見ゆる 命じゃろが
(「平成11年4月29日74歳に誕生日、することはしたろう、ゆっくり行こうぜ」石井さんの誕生日が昭和時代の天長節とは知らなかった。私は大正時代の天長節に生まれた)

ゴーン氏は マーチに乗りて 局入りし 「社長」を語り けれんの無し
(平成14年5月13日。NHK「今週の主役」で単純明快に経営哲学を開陳、日産ゴーン社長トップセールスの妙を示す。石井さんの長男は現在、上海日産の社長で業績を上げ、その将来が嘱望されていると聞く)

二重丸 篠弘氏が 付けてくれし 「毎日歌壇」友は複写す
(その特選の歌は「社内語が英語になりぬ不条理を企業戦士はなぜに言わざる」)

一椀の 飯ままならぬ 焼け野こそ あだし夢みつ ひた走りけり
(「平成14年9月19日 物故社員追悼式、草創の頃は無我夢中、みんな若いから無茶を承知で突っ走る」今年スポニチの物故社員追悼式は9月22日にあった。新たに合祀されたのは石井さんを含めて6柱。合計145柱である)

父の年齢 七つも越えて 一族寄り 遠忌にあれば 話弾めり
(「平成17年6月4日父徳頼の33回忌、昭和48年6月17日暑い日に逝く、73歳俺の取締役を大層喜んでくれた」)

生きなんと ひた走りけり 六十年 戦後の余白 いまだ埋まらず
(「平成17年8月15日、60年目の終戦の日、何故負けた日敗戦と言わぬのか事実は率直に表現すべし、錯覚を起こさせるな」。私の同期生は「人生に余白ありて日向ぽこ」と読んだ。石井さんはその前日に「空見てよ いまががんばりどころだぞ 雲に隠れて歌があるやも」と歌う)

石井さんのご冥福を心から祈る。


(柳 路夫)