2010年(平成22年)5月10日号

No.467

銀座一丁目新聞

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山と私

(63)
国分 リン

――アカヤシオのトンネル「仙人ヶ岳」――

 エーデルワイスクラブ・コーラス部主催の新人一般山行の下見を4月25日(日)の快晴に恵まれた日に、当番のIさんFさんと3人で出掛けた。特別ホリデーパスは1日乗り降り自由の1500円で小山まで使用でき、お得なチケットを求めるように当番のIさんに教えられ使用できた。小山(栃木)から高崎(群馬)までの両毛線に乗換え、小俣駅8時20分に到着、無人駅であった。ひっそりとした駅前でタクシーを心配したらすぐ分かり、乗車後15分ほどで岩切登山口を過ぎた駐車場へ止まり、ドライバーさんに「登山口は」と尋ねたら「この先にあるよ」と、10分ほど歩いていると、別パーティのグループも来たので安心していたら、私達の逆コースを登るらしく、戻ることにした。下見をして結果オーライである。登山口にはコースと生(ネリ)不動尊の由来の書かれた案内板があった。20分のロスで9時20分出発。衣服の調整をして不動沢沿いのゆるゆるとした登山道を歩く。早速イカリソウのピンクの花を見つけ喜び、写真をパチリ、ニリンソウの群落、スミレの花に心もうきうきと歩く。この道は生不動の参道でもあるが、快適な道である。不動沢を何度も右に左に渡渉をした。不動沢ナメ滝の横を鎖を使って慎重に登る。なかなかの岩場で景色はとても素晴しい。大きな直径が5aほどの黄色の花をみつけ、何の花かなと思ったらヤマブキソウといい、花の感じが木のヤマブキに似ているのでこの名になった。始めてのこの花の出会いに感激した。40分ほどで生不動へ到着。登山口にあった案内板からの抜粋によると、この生不動様は霊験あらたかで、太平洋戦争中に戦地に行くときに不動堂の床下の砂を身につけていけば、無事に帰還できるということで大勢の人々がここをお参りして、お守り袋の中に砂を入れて出征したそうです。その他、生不動様のお陰で命拾いをしたといわれる人々がたくさんおられるそうで、春と秋の例祭には、かつてご利益を受けた遠方の人など大勢の参詣人が訪れ、大変な賑わいという。2組の先客が休んでいた。大きな岩を背に建てられたお堂に会釈をして先を急ぐ。芽吹き始めの様々な色の緑に声をあげ、遠くの山桜を見つけては歓声を挙げながら沢から離れ、ジグザグと登り出すと、小俣第2小学校の案内板があり、この先「キツイ」「難所」「ゆっくり行けば大丈夫」と声を出しながら読み。岩場の鎖を手助けに「よいしょ」と尾根に飛び出すと「熊の分岐」11時30分到着。ここからの尾根道は岩がごつごつ松の木が目立つ。一瞬ピンクの花が次々と周りを明るくした。すれ違いざまの下山中の男性に「これはアカヤシオ?」と質問すると「そうです。この先はピンクのトンネルだよ」この返答に疲れは吹き飛びルンルン気分になり、足取りもぐっと軽くなった。まだ咲き初めの色の濃い若い花達は美しい。岩場と花や、雪を被った男体山や日光白根山を愛でながら到着かなと思ったら、「ここは山頂ではありません」の看板が立ち、矢印のさす左へ5分ほど登ると12時663m山頂到着。5組20人ほどの先客がいた。色々なコースを楽しむ人気の山らしい。細長い山頂部でゆっくり昼食、とても美味しい。
 12時45分、下山は熊の分岐までもどり、周遊コースの猪子峠へ、ゴツゴツの岩の道を登り、下りの連続で気が休まる暇もないが、アカヤシオが目を慰めるも緊張は解けない。眺めがいい場所にきた。「ここは山火事の跡らしい」と教えられた。小さい苗木が植林されていたが火事は樹齢何百年の木々を一瞬に枯らす恐ろしいものと実感した。14時に「犬帰りの岩場」に到着。ここは下見なので「安全第一」で巻き道を選択。この巻き道は階段で20mほどドーンと下り、また上り返すが安全には変えられない。ハーハー喘ぎ登り、また先を急ぐがなかなかの道で始めてなので長く感じた。松田湖の分岐を過ぎ、猪子山へ着くと、下山の矢印が着いた木があり暗い杉林の中をひたすら下りると猪子峠へ着き、安心した。案内の岩切登山口方面は右側に歩き出し、無事登山口に戻り、16時今回の下見山行を終えた。期待通りの花の多さに満足したが、低山とは思えない尾根歩きが続き油断のならない山なので、次回本番が無事に終ることを願った。