2010年(平成22年)3月10日号

No.461

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追悼録(377)

戦友川口久男君の追悼句集を出す
 

 亡くなった同期生、川口久男君(平成19年4月21日死去)の追悼句集の出版を考えている。川口君は生前に句集「旅のあかしに」を出しているので単なる句集では面白くない。今ない知恵を絞っている最中である。陸士予科時代同じ区隊であった田中長君に相談したところ、川口君の大阪幼年学校時代の写真と川口君がなくなった後、夫人の喜久子さんから田中君にあてた手紙が送られてきた。夫人の達筆な文字でしたためられた手紙には川口君の死の直前の模様が描かれ、胸が熱くなった。「昨年(平成18年)10月の発病以来6ヶ月、長いようで短かった日々でございました。とても我慢の強い人でしたから医師や看護婦さんや私たちにも最後まで優等生の患者であったように思います。もっと早く緩和ケア病棟に入院できれば、もう少し楽に過ごせていたのでは と思うと残念で可愛想で悔いが募るばかりでございます。ケア病棟に入って3日目の朝、身体が楽になったのと安心したのでしょうか、あっ気なく逝ってしまいました・・・」そして最後に「私も亡くしてみて、あの人の大きさや優しさにどれほど頼っていたことかと今ごろ気付いている日々でございます。子供達(男子3人嫁3人マゴタチ名)や友人達に支えられていることに感謝しながら何とか前向きに久男の分まで生きて行こうと思っております」とあった(日付平成19年6月27日)。この手紙は全文のせたい。
 この句集出版の話は川口君と鳥取一中時代からの親友で同期生の安木茂君の発案である。これまで安木君のところに来た川口君の手紙やハガキに折にふれて詠んだ俳句があるのでそれをまとめて句集を出してほしいということであった。安木君はすでに原稿を書いてくれている。鳥取一中1年生の時川口君は安木君に『ハンカチに包みあまりし防風かな』の句を示したというエピソードを紹介する。
 手元にある友人や知人から送られてきた句集をいろいろ見ているが、どれもピーンとこない。句集は俳句ばかり並べるものなのか。気に入った句があればそれで結構ですということか。己の熱い思いがそのまま5・7・5に表現されたのが良い「俳句」と言うならば、安木君や私を始め同期生の友情がそのまま表現されれば、良い「本」と言うことであろうか。
 

(柳 路夫)