2010年(平成22年)3月10日号

No.461

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安全地帯(278)

信濃 太郎

サンデー毎日懐古旧友会
 

「明日ありやと思う心のあだざくら 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と言う歌を案内状に添えられた「サンデー毎日懐古旧友会」に出席した(2月27日・「銀座ライオン新橋店」)。徳岡孝雄君の快気祝いも兼ねていたので出席者は14人を数えた。京都から北野栄三君も駆け付けた。徳岡君は昨年、悪性リンパ腫というがんに侵され死の淵をさまよった。毎日新聞の夕刊にも大きく報道された。皆も「徳さんはだめだな」と思ったものだ。約半年の闘病の末、奇蹟的に全快した。がんは完全に消えたという。挨拶に立った徳岡君は「がんは治るものです。がん治療の技術が半年単位で進歩している。あきらめず医者にかかればがんは治る病気です」と言っていた。顔色もよく元気そうであった。
 かっては100万部を超えた「サンデー毎日」の栄光に話は咲く。「全調査」は高瀬善夫君(故人)の造語、それを岡本博編集長(故人)が昭和38年11月9日に起きた東海道線鶴見事故で取り上げた。他の部員が全員反対した。「取材そのものが全調査でなないか。その中で象徴的な例を取り上げ詳しく報道するだけだ」、岡本編集長は強引に押し切った。「一人ひとりの死んだ被害者のそれぞれ異なった不条理な死こそインパクトある報道である」。岡本編集長はあくまで反対する北野君を自宅まで連れて行って話を聞いたという。取材に人手が足りないので非番の整理部員まで動員した。週刊誌にベトナム問題を初めて取り上げたのも「サンデー毎日」である。当時、PANA通信東南アジア移動特派員であった岡村昭彦さんを起用、「特別手記・サーロイ寺院の襲撃」(昭和38年11月3日号)を書かせた。「あなたがデスクの時、よく書き直された」と苦情を言う者もおれば「あれは良い企画であった」と懐かしむ者もいる。話は尽きなかった。
 三木正さん(編集長・故人)がデスク時代に考え出した「大学合格者出身高校別一覧」の話も出た。この企画は歴史に残る。はじめは「これが東大合格ベスト20高校」(昭和39年3月末)で、5ページ足らずの特集記事であった。ヒントは大学新聞が掲載していた「東大合格者の名簿表」であった。三木さんは徹夜して一人で「東大合格者出身高校別一覧」を作り上げ、これにコメントを付けたのが増田れい子さん(欠席)であった。東大だけでなく全国の有名国私立大20校を選んで特集を組んだ「昭和40年4月3日号」の大学号は爆発的な売れ行きを見せた。その時代に生きる読者がほしがる記事がある。それを掘り起こして伝えるのがジャーナルズムである。新聞も同じである。その努力を週刊誌も新聞も怠っている。会を開いたのは午後3時半であったのに夜7時過ぎても誰も席を立とうとしなかった。