2010年(平成22年)3月10日号

No.461

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花ある風景(376)

並木 徹

 アフガニスタンで用水路作りする
中村医師の貴重な意見

 
 今の時代ほど「現場で働く者の意見」を聞くべきであろう。もちろん歴史から教訓を学ばねばならないし、先哲の教えもくみ取らねばならない。だが現場こそ問題解決の糸口があり、下すべき判断の基礎がある。1984年(昭和59年)以来パキスタン東部、アフガニスタン東部で医療活動に従事し、さらにボランティアの協力を得て用水路作りに専心してきたペシャワール会代表・中村哲医師の話と意見は私には胸に響く。2001年の9・11事件以来、テログループ対自由諸国との戦いは当然とし支持してきた。
 中村哲・澤地久枝(聞き手)「人は愛するに足り、真心は信ずるに足りる」−アフガンとの約束―(岩波書店)には教えられるところばかりであった。2008年11月5日、参議院外交防衛委員会で参考人として出席した中村医師は発言する。「アフガン土着の反抗勢力を見ると、基本的にアフガンの伝統文化に根差した保守的な国粋主義運動の色彩が非常に強い。ある特定の,旧タリバンの政権の指令一つで動いているわけではない。諸党派が乱立し、それぞれが外国軍に抵抗している状態。かってなく欧米諸国に対する憎悪が民衆の間に拡大している。これは私たちが水路現場で一般の農民と接しての実感である」さらにいう。「アフガン農村では復讐と言うのは絶対の掟である。一人の外国兵死亡にたいしてアフガン人の犠牲はその百倍と考えてよい。日々,自爆要員、いわゆるテロリストとして拡大再生産される状態であることは是非伝えるべきことだと私は思う」。中村医師は『外国の軍事面の援助は一切不要でございます』とまで議員の質問に答えている。この信念は一貫して変わらない。2001年10月13日衆議院のテロ対策特別措置法審議に参考人の一人として選ばれた際にも「自衛隊の派遣は有害無益」と断言している。1979年12月のソ連軍戦車のアフガン進駐以前に、中村医師はアフガン、パキスタンとの縁が始まり、現在に至るまで、現地に定着する長い年月の間に、この土地で起きたすべての出来事を知る生き証人である。その人の言うことには聞くべき真理がある。
 2003年には荒野であったスランプール平野は水路が完成した時点で緑の平原に変わり地域全体約二千数万ヘクタールに20数万の人々が帰ってきた。「三度のご飯が食べられること。家族が仲良く故郷で一緒に生活できること。この二つをかなえてやればいろんな問題のほとんどは解決する」と中村医師は澤地さんとの対談で答える。井上ひさしさんがお芝居の中で吉野作造の「民本主義」を「三度のご飯をきちんと食べ、火の用心をして、元気で生きられること」と説明している。これによく似ている。中村医師の趣味は音楽を聴くこと。モーツァルトが一番好きだという。山岳地帯で馬が暴れ出して,宙吊りになって転落した際、吸っていた煙草とカセットテープを抱えたまま放さなかった。この時、聞いていたのは「トルコ行進曲」であった。「モーツァルトを聞くことは自分の人生を確認にすることだ」と言った人がいる。落馬しながらもモーツァルトを聞くとは中村医師は人生を達観しているのであろう。