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平成の大転換期をいかに生きるべきか
牧念人 悠々
快晴の「文化の日」。「09年新時代シンポジウム」−大転換期の展望と選択−に友人に勧められて出席した(会場・東京千駄ヶ谷*SYDホール)。平成日本の「五大先見人」が確かな視点で時代を斬るとある。一番驚いたのは会場に150人ぐらいの人が詰め掛けていたことだ。せっかくの休みだというのに勉強する姿に敬意を表するほかなかった。
コーディネーターは清水義春さん(「えにし屋」主宰)、講師は福田純子さん(福田純子オフィス代表)、大和信治さん(はる研究所代表)、林英臣さん(政経塾長)。このほか芳村思風さん(思風庵哲学研究所所長)と藤原直哉さん(シンクタンク所長)の二人がビデオメッセージで参加した。福田純子さんのほか誰も知らない。わずか清水義春さんは名前だけ知っている。失礼ながらこのメンバーでよく人を集めたものだと思う。時代が変わったしるしかもしれない。
福田純子さんとは毎日新聞の西部本社在勤中、福岡で話を聞いたことがある。その「笑顔の哲学」はユニークであった。「笑顔は最高のアクセサリーである」という言葉は今でも覚えている。今回も「笑顔共和国の大統領」として世界中に笑顔の種まきをしながら、人と人を結びつけ平和を築く活動をユーモアたっぷり語っていた。
松下政経塾の1期生で、松下幸之助の直弟子を自認する林英臣さんは松下幸之助さんから「素直になれ。そうすれば人間は成長する」と教えられたという。たしかに素直になるのは大切だ。物事を吸収するには素直でなければだめである。私はこれに「それは、なぜ・・・」という疑問を持つことを提案する。人の持論・意見を自分のものにするために必要な作業である。人の話を鵜呑みにして成長はない。間違った方向に行くとも限らない。常に疑問を発せよと言いたい。林さんが塾長を務める政経塾は現在4期生、約40人が学んでいる。すでに市長2人、地方議員30人を出している。
大和義春さんが今の時代の大転換期は1853年(嘉永6年)のアメリカ使節ペルー、浦賀来航から1889年(明治22年)の明治憲法発布までの大転換期に匹敵する。おそらくその時代の人はその大転換期をそう意識できなかったのではないだろうかという。年表でこの36年間を観てみる。対外的出来事は、日米修好通商条約調印―開国へ、生麦事件、薩英戦争、四国連合艦隊下関砲撃などがあった。内戦は蛤御門の変、長州征伐、鳥羽・伏見の戦い、西南戦争など日本人同士が開国・攘夷と血を流して戦った。桜田門外の変など暗殺も起きた。政治的出来事は明治維新、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県、岩倉具視使節団の欧米視察、自由民権運動の興隆などがあった。日本の近代国家への生みの苦しみであったといえよう。
現在、日本を襲っている大転換期はどう意味づけたらよいのだろうか。敗戦から64年日本はあまりにも平和でありすぎた。専守防衛を唱え、アメリカの核の傘の中に守られてきた。国民は国を守ることを忘れた。経済大国となり、暖衣飽食を当たり前とした。戦後の民主主義教育は日本人を我利我利亡者の間違った個人従義者にしてしまった。アメリカ発の100年に一度の金融危機に見舞われて日本は今、右往左往している。日本の相対的貧困率は15・7%(07年調査)になった。この背景のもとに自民党政権から民主党政権に政権交代を果たした。有権者が下した判断はそれなりの理由があろうが私は21世紀新時代への生みの苦しみの一課程と見る。資本主義が危機にひんしている時、あるいはすでに崩壊しているかもしれない時、資本主義は新たな理論構築をしなければならない時に来た。パネラーらは東洋の思想を注入しなければならないという。概念的には徳。公益、節度、節制、和であり、資本主義といえども利益一辺倒ではなく、社会的貢献・公益を重視するものに変身せざるを得なくなったと私は受け取った。
その意味では林英臣さんが語った二宮尊徳の「自分が困っている時ほど自分のことを省みず困っている人を救え」という教えは示唆に富む。二宮尊徳が10歳の時、田を耕すため隣の人に鍬を貸してほしいと頼んだところ、隣人は私も鍬を使うので貸せないという。尊徳は「では私がその鍬であなたのする種まきをしましょう」と隣人の作業をした上、畔まで手直した後、その鍬で自分の作業をした。感心した隣人は「これから困ったことがあったら必ず助けてあげましょう。何でもあなたのためにします」と言ったという話である。これこそこの動乱期に必要な精神かもしれない。
渡部昇一さんは明治維新とは「近代文明は白色人種の独占物ではない」と示した世界史上の大事件なのだと指摘する。とすれば、平成維新は「日本を中心とするアジア文明は世界を牽引する」大事件となる可能性を秘めている。だが、それまでに明治時代と同じく憲法を改正しなければならない。政党も「憲法改正」を明確に打ち出した時、大きく飛躍するであろう。それまでにまだ時間がかかりそうである。あと十年は動乱期が続くのであろうか。
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