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小沢一郎民主党幹事長に 対する一つの研究
牧念人 悠々
鳩山由紀夫民主党内閣が発足する。幹事長に小沢一郎がなった。民主党308議席のうち143人の新人議員を当選させたのだから当然であろう。また来年の参議院選擧に備える意味でも納得がいく。民主党、社民党、国民新党の連立内閣といえば16年前の1993年(平成5年)8月に誕生した8党連立、日本新党の細川護熙内閣を思い出す。この年の7月の総選挙で自民党は過半数割れし、非自民連立政権が38年ぶりに出現した。小沢一郎は新生党(党首羽田孜)の代表幹事であった。この時「与党代表者会議」が生まれ、連立与党側の運営が各党書記長、代表幹事らによって行われた。会議の中心となったのが小沢一郎と公明党の書記長市川雄一であった。この会議は党首クラスが入閣している政府と摩擦を起こす。とりわけ新党さきがけの武村正義官房長官と小沢一郎は重要政策をめぐって激しく対立した。これが細川政権の在位期間263日という短命な政権に終わった理由であった。
今回は民主党308議席、社民党7議席、国民新党3議席で連立政権である。また政策は国家戦略局担当相を置き、官邸主導で行い、細川内閣のような形の「与党代表者会議」は作らないとしている。官房長官の平野博文は鳩山由紀夫の側近で小沢一郎とも親しいといわれているから激しく対立する事態は考えにくい。むしろ喧嘩にならないのではないか。平野官房長官は60歳、当選5回、党国対委員長代理、幹事長代理、役員室長の経験しかない。小沢幹事長は67歳。当選14回、43歳のとき自治大臣・国家公安委員長(第二次中曽根康弘内閣)47歳のときに自民党幹事長となる。党首は新進党、自由党、民主党(代表)をそれぞれ務めている。キャリアが違う。細川内閣のとき、当時鳩山由紀夫は武村正義官房長官のもとで官房副長官であったからその苦い経験が分かっているはずで、細川内閣の轍は踏まないであろう。それでも「二重権力構造」「剛腕・小沢一郎」という批判・危惧が付きまとう。党人事、選挙対策、国会対策、連立与党との調整、重要政策の方向性など幹事長の仕事の領分は政府が決定する重要政策とは波打ち際のように重なる部分が出てくる。所詮『小沢だのみ』になる恐れは十分ある。「吉」と出るか「凶」と出るかわからない。
細川政権が倒れた大きな一因は「日米関係」であったといわれる。それを指摘するのは評論家森田実である。その著書で「細川首相は1994年2月に訪米した際、日中関係についてクリントン大統領と対立した。細川首相は日本の独自外交を主張し、中国との友好を重視すると述べた。この発言がアメリカ政府の逆鱗に触れた」と指摘する。その後その表現を修正したとはいえ、鳩山由紀夫も中国重視・対等な日米同盟の再構築の論文を発表、アメリカで物議をかもしている。小沢一郎もアメリカ一辺倒でなく中国を交えた「正三角形外交」の展開を説く。連立与党の社民党は海上自衛隊のインド洋上での給油即時中止を主張し、日米同盟の見直しを唱えている。絶対多数を誇る鳩山政権のアキレス腱はここかもしれない。政権交代を実現させた男・小沢一郎の座右の銘は「「百術は一誠に如かず」であるという。百の術策も一つの誠に及ばないということである。にわかに信じがたい。
今回の選挙で11の比例区で民主党に投票した有権者は2984万人余、自民党に投票した有権者は1881万人余である。民主党の政策に危惧を抱く有権が少なくないことも知るべきである。民主主義は少数意見も尊重することを教えている。一つの誠を少数意見にも耳を傾けて日本の国家としての行方を誤らないようにしてほしいと願う。
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