2009年(平成21年)9月10日号

No.443

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花ある風景(358)

並木 徹

笹川陽平さんの「若者よ、世界に翔け!」を読む

 笹川陽平さんの近著「若者よ、世界に翔け!」(PHP研究所・平成21年8月24日第1刷発行)は面白く、ためになる。若者だけでなくても後期高齢者でも楽しめる。本の趣旨は若者が海外に出て活躍しろ、そうすればいろいろことがわかると教える。たとえば、日本で騒いでいる格差などというものは外国に比べればまだ恵まれている。20億の人々は1日1ドル以下の生活をしている。中国にしても年収が1万円以下の絶対貧困者が3000万に上る。また諸外国では戦力を放棄することで平和を実現するといっても誰も本気にしない。日本の平和憲法はむしろ日本が国際問題の解決に自ら血を流すことなくことを回避するための口実に過ぎないと決め付けられていると指摘する。若者よ外国に行け・・・
 私には第3章「激動を生き抜いてきた人々」がとりわけ興味深かった。父、笹川良一さんについて触れている。戦後、A級戦犯、ファシスト、バクチの胴元、黒幕など知識人と称する人々の攻撃の対象になったことは不思議であると嘆いている。私はすでに8年前、本誌「追悼録」(2001年7月1日号)で笹川良一さんのハンセン病制圧に尽くした事績を取り上げ次のように書いた。「今なお、笹川良一さんを悪意のある目で見る人が多い。この事実をどう見るか。『道徳を説く人を見習うな、実行する人を見習え』という。笹川良一さんは敗戦直後、国民が食うに困っているとき、BC級戦犯の遺族の支援をしている。誰もができることではない。「世のため、人のために尽くす」が笹川良一さんの基本的考え方だという。私は笹川良一さんを誰もができなかったことをいち早く実行した人物として尊敬する』この気持ちは今でも変わらない。その後2回本誌(2008年2月1日号「花ある風景」・2009年2月20日号「追悼録」)で笹川良一さんに触れた。笹川良一さんに対する悪評はたぶんにマスコミの先入観・偏見によるものである。なかなか改まるものではない。『一犬虚を伝えれば万犬虚を伝う』である。度し難い。
 武原はんが取り上げられている。はんさんが念願としていた「パリ公演」が男の嫉妬でだめになったという話を紹介している。「はんさんの心を占めていた本当の男は大仏次郎」とは意外であった。武原はんさんには思い出がある。知人から「はんさんがまだ公演していない県が二つあります。山口と青森です。あなたの管轄の山口で公演を実現してください」と頼まれた。当時、毎日新聞の西部代表で事業好きであったので早速、山口市の県民ホールで「武原はんの地唄舞」の公演を開催、成功を収めたことがある。高い入場券から先に売れたのは得がたい教訓であった。
 「山下太郎とアラビア石油」の話も捨てがたい。資金の目鼻が立たず途方にくれる山下太郎が経団連の石坂泰三に泣きつく。「いくらのお金が必要か」と聞かれて山下太郎は「100億円の保証です」と答えると石坂泰三は「100億円?そんな金額、俺には縁がないから・・・・夢物語には協力するよ」と応じる。日本が始めて開発した「日の丸油田」カフジ油田をめぐる苦労話である。
 笹川陽平さんの本に対する私の感想は尽きない。8月16日、民主党の鳩山由紀夫首相が誕生する。田中角栄元首相は笹川陽平さんに直接言ったそうである。「日本国の総理大臣になるということは、自らの命を絶つということで、国家、国民のために命を絶つという信念がなければ引き受けてはならない」果たして鳩山由紀夫首相にその信念ありやなしや。わが意を得た本をひさしぶりに読んだ。