2009年(平成21年)9月10日号

No.443

銀座一丁目新聞

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追悼録(359)

武蔵野館のオーナー・河野勝雄さんをしのぶ

 なくなった武蔵野館のオーナーだった河野勝雄さん(8月26日死去・享年78歳)は熱心な「銀座一丁目新聞」の愛読者であった。10日ごとに更新される本誌を社員にコピーさせて熟読された。ある日、河野さんを訪ねると「今朝、乃木大将の話を社員たちにしたよ」といわれた。私が「追悼録」(2002年4月10日号)で取り上げた学習院長・乃木大将が初等科の生徒たちに述べた訓辞のことであった。乃木さんは子供たちに訓示した。1、口を結べ、口を開いているような人間は心にもしまりがない。(町を歩いてみると、口を開けた人が多いことがよくわかる。親のしつけが行き届いていないのであろう)。2、けして贅沢をするな。贅沢ほど人を馬鹿にするものはない。(暖衣飽食の人間のなんと多いことか。食べられるものを平気で捨てる輩も少なくない。日本人がだんだん馬鹿になってゆくわけである)3、寒いときは暑いと思い、暑いときは寒いと思え。(やせ我慢する子供が少なくなった)。4、恥を知れ。道に外れたことをして恥を知らない者は禽獣に劣る。(政治家から企業主まで嘘つきが多くなった。世間に明るみにでもすこしと恥じない)。
 私はこの話を渡辺諄一さんの『静寂の声−乃木希典夫妻の生涯より』より引用した。河野さんは近くの本屋に出かけて買い求めて改めて読んだという。その熱心さに頭が下がった。
 武蔵野館は映画館としては老舗である。大正9年5月にできた。無声映画からの映画館である。ここでよく映画を見たという人は少なくない。映画評論家・戸田奈津子さんは女子大をよくサボッテここによく来たという。新宿に映画館は18館もあって、主要な映画館8館の年間入場者数は4000万人以上、年間興行収入は55億円に上るという(産経新聞)。
 ともかく河野さんにはお世話になった。河野さんの協力で武蔵野ビルの3階にある『新宿シネマ・カリテ』の朝の空いている時間を借りて藤原智子監督の映画『夢はときをこえて』−津田梅子がつむいだ絆−を10日間上映した(2001年2月10日から2月19日)。日本アイスランド協会の役員でもあった。自から団長になってアイスランドに行かれて友好親善を果たされたこともある。思い出は尽きない。心からご冥福を祈る。
 

(柳 路夫)