2009年(平成21年)8月10日号

No.440

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茶説

三度のごはんきちんと食べて
 火の用心、元気に生きよう
 

牧念人 悠々

 吉野作造の言葉。「ともによりよい生活を目指そうという願い、それが国のもとになる」「その意志と願いを文章にまとめたのが、憲法なのだ」。非常にわかりやすい。さらにくだいて言う。「三度のごはん、きちんと食べて、火の用心 元気で生きよう きっとね」。これは「国家の、政府の夢、いや務めです」と吉野信次はいう。舞台上の年代は明治42年から昭和7年の23年間である。
 ところで日本の現実はどうか。失業率5・4パーセント(6月)失業者348万人。有効求人倍率0.43倍。3度のごはんもままならない。「火の用心」(災害や災難にあいませんようにという願い)は、異常気象といえ少し豪雨となれば土砂・崖崩れで死者など被害が後を絶たない。金儲けと効率を求めて若者は村を去り過疎となり、山の手入れも不十分となる。元気に生きるには暗い出来事ばかり起きすぎる。この国の行方が気に掛る。
 こまつ座公演の「兄おとうと」(7月31日観劇8月16日まで上演・東京・新宿・紀伊国屋サザンシアター)は民本主義を唱えた吉野作造とその弟、商工大臣も務めた信次兄弟の物語である。不思議と今の政治のありようをそのまま風刺している。時あたかも間もなく総選挙が始まる。自民党と民主党のマニフェストが出そろった。ともに生活支援を掲げる。「道徳を説く人を見習うな 実行する人を見習え」というから、候補者の日ごろの言動。党の国会活動をよく見て判断を下さねばならぬ。有効な言葉は「なぜ」と疑問を持つことだ。人々は「なぜ」と考えることによって政治に目覚めるという。
 お芝居では両親の亡きあと、「朝は蜆を売り納豆を売り日中は魚の加工場で働き夕方には豆腐を売り、おとうとたちの夕食を作ったあとまた加工場で働く」感心な娘、千代が吉野兄弟の恩賜の銀時計と財布を盗む。良心の呵責から交番に自首、巡査とともに来て謝る。法律を盾に許そうとしない信次に千代は問う。「勉強したい子が中学校へ上がれないのはなぜですか」「弟たちは病気でもお医者にかかれないのはなぜですか」「あたしたちがこしらえた甘露煮をあたしたちが買えないのはなぜですか」。
 有権者よ、各政党に問え、なぜ今の日本はこうも息苦しいのですか。なぜ後期高齢者ばかりをいじめるのですか。ETC・・・
 吉野作造の時代の出来事・昭和6年9月、満州事変、昭和7年1月第一次上海事変、2月、井上前蔵相血盟団員に射殺、3月、同じく団琢磨射殺、同月、満州国建国宣言、5月犬養首相、陸海軍将校に射殺・・・吉野作造は「国民の未来を決める重大な事柄が次から次へと議会の外で決められている」と嘆く。「…そうかもしれない」と答える信次に作造は言う。「政治の流れを帝国議会へ引き戻せ。財閥の番犬に甘んじている政党に喝を入れろ。自分可愛さに志を失っている議員諸公の尻をひっぱたけ。そうしないと、宮城と軍人どもが間もなくこの国を地獄へ引きずり落としてしまうぞ」
 それから77年、宮城も軍部も力がなくなった現在「この国を地獄に引きずり落とすもの」は誰か。国の在り方も考えず、国を守る方策もなく、ただ私利私欲に走り、党利党略に狂奔する政党ではないか。そうだとすれば、単に政権が交代しただけではどうにもならない。吉野作造がしたように近代国家であるならすでにあってしかるべきであるのにまだないもの、たとえば貧しい産婦のための産院、親のない子どもたちのための保育所などを実現してゆく政治ではないか。この古くて新しい命題が今なお問題になるのは民主主義の“業”であろう。かたくなに「三度のごはん きちんと食べて 火の用心 元気で生きよう きっとね」と念仏のように唱え、政治に実現させてゆくほかあるまい。それが有権者の力である。