2009年(平成21年)8月10日号

No.440

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安全地帯(257)

信濃 太郎

大正デモクラシーの波(大正精神史・大正デモクラシー)

 大正デモクラシーの波が最も高揚したのは大正8年といわれる。「明治の残滓を一気に払拭された」という説もある。大正の若者たちは「富国強兵」「天皇崇拝」をそのままの形では受け入れなくなってきたという(原敬吾著「難波大助の生と死」国文社)。確かにその一面は見られる。軍縮、普通選挙の動き、ストライキの頻発、大正天皇の御病気、ドイツ、オーストリア、ロシアの帝政の崩壊などが指摘される。だが、その逆の現象も見られる。明治の開国はいやおうなしに日本を「一等国」に向けて押し出す。その動きも明治時代よりも形を変えて激しくなる。
 大正7年11月第一次世界大戦が終わる。ドイツが敗北して英米仏の勝利はデモクラシーを世界に誇示した。翌年の6月、講和条約が調印される。国際連盟が成立し、日本は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリアと並んで「五大強国」となる。世界に平和の機運が起きる。大正6年10月のロシア革命の影響が日本に浸透してきた。社会問題への関心が高まった。大正7年から8年にかけて大学生の間に社会問題研究団体が続々と生まれていた。東京帝大に新人会、早稲田大学に建設者同盟、京都帝大と同志社に労学会が作られた。
 東大新人会の綱領には「1、吾徒は世界の文化的大勢足る人類解放の新気運に協調之が促進に努む、1、吾徒は現代日本の正当なる改造運動に従ふ」とある。つまるところ若者たちの目指すところは「人類解放」と「社会改造」にあった。
 大正8年に起きた関連の出来事を抜きだす。
  3月 1日 東京で普通選挙要求の大示威行進おこなわれる。
  6月19日 東京市小学校教員、8割増俸示威運動起こす・途中で止む
  7月13日 東京、白米値段1升59銭に暴騰
  7月31日 東京市内16新聞社印刷工、賃金増額要求同盟総罷業 休刊4日間
  8月23日 東京砲兵工廠職工6千人賃金増額を要求して同盟罷業(30日解決)
  9月18日 神戸川崎造船職工1600人、賃金増額を要求して総怠業【27日解決】
 10月 7日 室蘭日本製鋼所職工1700人賃金増額を要求して同盟罷業
 11月 9日 内閣弾劾全国有志大会上野公園で開かれる
 この4月に出た「改造」が社会問題・労働問題に編集方針を変えて息を吹き返したのはこの時代の流れに沿うものであった。長谷川如是閑が大山郁夫らと2月に「我等」を出す。長谷川如是閑の「如是閑語」
 △潰走車は大砲を持て剰し、亡国は正義を持て剰す
 △外交家と幽霊とは微笑をもって敵を威嚇す
 △吠ゆる犬は噛まず噛む犬は吠えず
 △古の君子は盗泉の名を悪んで飲まず、今の君子は盗泉の名を更めて飲む
 △昔売りたる良心を金銭似て買い戻さんと試みる慈善家は徒労に終わらん
 △貧者に恵は天に返すなり
 △愛する人の声は心臓の血を暖め憎き人の声は頭脳の血を沸かす(長谷川如是閑全集第1巻・栗田出版会)
 長谷川如是閑はこの時代をかく風刺した。
 河上肇の個人雑誌「社会問題研究」は1月に出た。第1冊は12万、第2刷8万売れた。荒畑寒村が「寒村自伝」(上・岩波文庫)に書いている。大正7年までに労働組合が11団体しか組織されていなかったのが大正8年になって一躍70団体に増大してストライキの件数も元年49件、5千七百余人の参加が大正8年には10倍余に増えた。4ヶ月間に「労働者よ団結して資本家に対抗せよ」という簡単な宣伝ビラが出版法違反に問われ、処罰されたのが不思議なくらいだと時勢の激しい展開に驚いている。確かにデモクラシーの波は高くうねっているように見える。
 なお大正8年に北一輝の「日本改造法案」が上海で執筆されたことも付記しておこう。