2009年(平成21年)7月1日号

No.436

銀座一丁目新聞

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茶説

ひたむきに生きる人間の
高貴な輝きを知れ
 

牧念人 悠々

 作家、新田次郎は厳しく雄大な自然や大河のごとき歴史の中で、ちっぽけな存在ながらひた向きに生きる人間の、高貴な輝きを描こうとしたという。その志に魅せられて木村大作監督は映画「剱岳 点の記」を作った。その映画の感想を「ブログ」に書いた(6月24日「銀座展望台」)。
 「▲話題の映画・木村大作監督の「釼岳 点の記」を見る(6月23日・東宝シネマズ府中)。字幕で出演者を“仲間”と紹介する。監督以下俳優陣の意気込みが感じられる。
 仕事に誇りを持って黙々と働く男たちがいる。
 厳しくも美しい自然が画面いっぱいに広がる。このような映像を私は見ていない。圧倒される。「悠久の自然 儚い人生」を感ぜざるを得ない。
 音楽が素晴らしい。すべてクラシック曲である。バッハ、ヴィヴァルディあり、主人公らが剱岳の頂上を登るシーンではヘンデルの「第4番組曲ニ短調」(サラバンド)が流れる。久しぶりに良質で品格のある映画を見た。いささか興奮した」。
 物語は明治39,40年、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手、柴崎芳太郎(浅野忠信)が「陸軍の威信をかけて剱岳の初登頂と測量を果たせ」という命令を受けるところから始まる。名ガイド・宇治長次郎(香川照之)を得る。長次郎は山をよく知り、謙虚に周りの人々に気を配る。映画では霧の中で道に迷った際にも、縄張りを守る雷鳥の鳴き声を聞いて無事、柴崎たちを案内するシーンがある。
 剱岳(2999m)登頂のルートへのヒントは行者の「雪を背負って上り、雪を背負って降りよ」の言葉であった。この間柴崎・宇治に生田信(松田龍平)を加えた総勢7人で池ノ平山(2555m)・雄山(3003m)・奥大日岳(2661m)・剣御前(2777m)・別山(2880m)など周辺の山々の頂に27の三角点を設置した。柴崎に届いた先輩で前任者の古田盛作(役所広司)の手紙にはこうあった。「人がどう評価しようとも、何をしたかでなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切です」剣岳頂上へアタックする。室堂―雷鳥沢―剱沢―剱沢雪渓―長次郎谷―剱岳へ。頂上は意外に広々とした岩石であった。時に明治40年7月12日であった。さらに山頂には錫杖の頭と剣があった。すでに奈良時代に開山されていた。ここに重い機材をあげて三角点を設けることは無理であった。四等三角点にならざるを得なかった。登頂成功の報に陸地測量部長、大久保徳明少将(陸士3期・のちに中将)は初登頂でなかったということで冷淡であった。評価したのは競争の形で初登頂を目指した日本山岳会の小島烏水(仲村トオル)らであった。山男たちの友情の深さを知る。山の場面で流れるヴィヴァルディの「四季」冬は心にしみた。第1楽章と第3楽章は同じ「急」の調べながら嵐で苦闘する人たちを描き、もう一つは強風が吹きすさみ人々を苦しめるがやがて春が来ることを知らせるものがあった。
 大自然の前に人間は弱い存在かもしれない。「冬来たりなば春遠からじ」誇りを持って懸命に生きる人間にそれなりの意味がある。それを新田次郎は「高貴の輝き」と表現した。