2009年(平成21年)7月1日号

No.436

銀座一丁目新聞

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花ある風景(351)

並木 徹

室内楽の世界に遊ぶ

 梅雨入りした東京地方はこの日は曇りがちで時折雨がぱらついた。夜、東京・墨田区にある「すみだトリフォニー小ホール」で大下裕子(ピアノ)、小沢洋介(チェロ)、安田明子(ヴァイオリン)による「室内楽の世界」を聞く(6月22日)。主宰者の安田謙一郎さんが体調不良で小沢さんに選手交代した。私は安田さんの穏やかな語り口とその人柄を表すチェロが好きである。
 この夜は話題を終始リードしたのはピアノであった。5年前に初めて聞いた大下さんの達者な演奏に聴きほれた。今回は気負いもなく落ち着いていた。無口なチェロは笑顔を絶やさず堂々としていた。話題が豊富なはずのヴァイオリンは父上の体調を気遣ってかやや沈みがちに見えた。それでも最後の「シューマン:ピアノ三重奏曲 ト短調 OP110」では3人は力強く、情熱的に、息のあった演奏をみせる。
 初めの演目は「ハイドン:ピアノ三重奏曲 第41番 変ホ短調HOB.XV-31」であった。
 第二楽章の表題は”ヤコブの夢“である。珍しい。本来ならポコ・アダージョ・カンタービレなどとつけられるのであろう。旧約聖書創世記から名付けたものである。「ヤコブは一つの所についた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。時に彼は夢を見た。一つのはしごが地のうえに立っていて、その頂は天に達し神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た」そのあとに主の言葉が続く。「私はあなたの父ハブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫に与えよう」(28章11-13)。
 調べは聖書の内容ほど感動的ではなかった。私はチェロの音色に聞き入っていた。ハイドンにはオラトリオの最大傑作「天地創造」がある。「天地創造」が上演されたのが1798年4月だから”ヤコブの夢“はそれより8年ほど前の作品である。それを知れば仇おろそかにこの曲は聞けない。
 シューマンのピアノ三重奏曲は第一楽章「情熱的に、しかし速く鳴く」第二楽章「遅めに」第三楽章「速く」第四楽章「力強く ユーモラスに」とプログラムにはわかりやすく書いてあった。愛妻でピアニストであるクララのために作曲した作品である。クララは恩師ヴィーク博士の娘で、博士はその結婚に反対し裁判沙汰にもなった。それでも結ばれた二人である。はじめからピアノ、ヴァイオリン、チェロとも情熱的でエネルギッシュな調べであった。小沢さんの表情が厳しくなった。大下さんも頬を紅潮させて鍵盤の上に手が激しく舞う。安田さんも神経の行き届いた手さばきを見せる。シューマン時に41歳。クララとはすでに11年も音楽生活を送る。楽想はあくまでも重厚。あくまでも情熱的である。その情熱はとどまるところを知らない。最後までぐいぐいと音楽ファンを引っ張ってやまなかった。東京の巷で聞く音楽も捨てたものではない・・・・