2009年(平成21年)6月20日号

No.435

銀座一丁目新聞

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茶説

この国の行くへ・・・
 

牧念人 悠々

 時代は激しく動く。近く行われる総選挙ではおそらく民主党が勝利するであろう。だが自民党にしろ民主党にしろ、目先の党利党略しかないのは残念である。一体、この国をどうするのかと言う理念がない。「日本国家」が念頭にない政治家が多すぎる。日本の事を考えないとこの国の前途はどうなるのか心配になる。その意味で閣僚の辞任ではないので新聞の扱いが地味であったが自民党の小池百合子元防衛相が党基地対策特別院長を辞任したニュースは見逃せない。辞任の理由は党の国防関係合同会議が麻生太郎首相に提出した提言の「敵基地攻撃能力の保有」の項目に「予防的先制攻撃を行わない」との文言が盛り込まれないことに抗議したためである(産経新聞6月17日)。「予防的先制攻撃を行わない」の文言を盛り込まないのは「外国に誤解を与えてはいけないから」という主張が通ったからである。敵にこちらの戦術・戦略に誤解を与えるのも「戦力」の一つであるのをご存知ないらしい。それにしても自民党の人達はお人好しが多い。「相手の嫌がる事をしない」と言った元首相もいた。個人を相手にするならともかく相手は「国」である。誤解を与えることや嫌がることをするのも交渉の手段でもある。北朝鮮は日本のほぼ全域に届くノドン(射程1300キロ)200発をすでに配備、さらに核兵器の開発を急いでいる。これらに対して「予防的先制攻撃」の構えを見せるのは当然である。専守防衛で自衛隊の手足を縛っておきながらさらに「外国の誤解」で縛るのはこの国の政治家に「国を守る気概・見識」が欠落しているからではないか。民主党政権が実現したらさらに自衛隊に対する縛りが強化される恐れが多分にある。
 別に戦争をしろといっているのではない。日本はあくまでも平和国家を目指すべきで戦争をしないのに越したことはない。現に好戦国家も存在する。北朝鮮は世界を敵に回して長距離ミサイルを発射し、核実験をしている。国際的に見て日本の自衛隊が諸外国並みの軍隊同様海賊退治や船の臨検が出来るように法整備すべきである。これは国際協力・国際貢献であって好戦的なことではない。せめて諸外国の軍隊と一緒に行動できるような自衛隊にしたらよいではないか。
 黒野耐著「戦うことを忘れた国家」』(角川書店)に「安全を金で買った国の末路」の歴史が紹介されている。10世紀の中ごろから12世紀にかけて中国大陸に傭兵と周辺国に金を払うことにことで安全を確保し、経済と文化の発展に専心したものの結局はその周辺国に滅ばされ宋(北宋)という王朝の話である。クーデターによって政権を奪取した王は軍隊によって打倒されることを恐れて軍隊の力を弱める体制を作り上げた。その結果、軍隊を指揮統率する能力のない文官が幅を利かせ、国民の国防意識も希薄となり傭兵の軍紀は緩み兵士の士気も低下して外敵の侵略に抵抗できない国家の体質となった。結局、宋という国は、自国の軍隊も信用せずに忠誠心のない傭兵と敵国から安全を金で買うという、他人任せの安全保障によって滅び去った。なんと日本の戦後の姿と酷似しているではないか。黒野さんは「防衛政策を国政の最下位に位置づけ、文民統制ならぬ文官統制で自衛隊を締め付けている」と指摘する。戦うことを忘れた国は他国からなめられる。オホーツク海、日本海、東シナ海の主権と権益が侵されているのはその証拠である。戦うということは「正当な日本の国境や権益が侵されれば最終的には戦って守らなければいけないし、国際社会の平和と安全を維持する行動に日本も積極的に役割を分担する」ということである(前掲「戦うことを忘れた国家」)。早く自衛隊を常識的な普通の国の軍隊として取り扱ったらどうか。