2009年(平成21年)5月20日号

No.432

銀座一丁目新聞

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山と私

(52)
国分 リン

――八甲田山・山スキー初体験――

 真っ白に輝く津軽富士・岩木山や津軽海峡を遠くに眺め、誰の踏み跡もない新雪の上を思い思いにスキーでシュプールを描きながらの滑降は、山スキーこその醍醐味を味わい感動した。樹氷の間を縫うように速いスピードで滑り、夏山のコースタイム1時間を10分もかからずに降りてしまう。私以外皆山スキーのベテラン達である。「どうしたら上手くなりますか?」の問いに「シーズンに密度の濃い練習をすること。年齢は関係ないよ。トレーニングで体力を持続すること」 嗚呼 上手くなりたいがため息が出てしまう。

 スポニチ登山学校の先輩京極氏から東京野歩路会例会「八甲田山 スキーと湯煙旅行」へ借切バスで人数が足りないので一緒に行こうと誘われた。秋にスポニチ登山学校で台風の中の大岳登山、改めて八甲田山を調べると青森県のほぼ中央部にある火山群で、北八甲田連峰と南八甲田連峰にわかれる。主峰の大岳(1584m)のほか、前岳、田茂萢、赤倉岳、井戸岳、小岳、高田大岳、石倉岳の八峰がある。植生は標高400〜1000mではブナ林、それより上はアオモリトドマツなどの針葉樹林帯、それが厳冬期のモンスターになり、カメラマンも追いかける。「酸ヶ湯」にあった新かわら版「青い森青い風」を読むと、森の豊かさを県の名前に謳う青森県。ブナやヒバなど上質の天然美林と、県土の7割近くを占める広さと量を誇る森林県です。「低炭素社会」の実現に向けて、なくてはならないのが青い森。緑の蘇りを目指して今、世代や立場を超えた人々が県内各地の森で動き出しているという。白神山地も青森で、改めて見直した。

 3月19日(木)男性6人女性11人を乗せ、池袋22時出発した。
 3月20日(金)青森駅7時到着。2泊とも自炊なので、駅近くの市場はりんごや海産物屋が軒を並べ、夜の献立「鱈ちり鍋」用の大きな真鱈を2尾と、ほかの食材も買出しして、バスに乗り込む。青森市内の雪は探さないとない。9時「酸ヶ湯」に到着した。スキー客や温泉客で大賑わいである。準備をした仲間達はバックカントリーツアーへ申込をし、宿のバスで八甲田ロープウェイ乗り場へ出掛けた。八甲田山は昨年雪崩遭難で死亡事故が起きてから地元ツアーガイドを依頼し、各自ビーコン(雪崩で埋まった時、信号を発信し、埋まっている場所を知らせ、埋没者を捜索する道具)の装着が義務付けされた。私は持っていないのでレンタルし、スィッチをオンにして身につけた。お昼にバスでロープウェイ乗り場へ、午前中から滑ってきた元気な16人の仲間と落ち合えたが、心配で緊張気味である。いよいよ101人乗りのロープウェイで15分田茂萢岳へ到着。さすがに冷たい風が頬を打つ。武者震いをして回りを見渡すと一面銀世界、冬山である。午前中と同じ雪中行軍遭難記念像へ向うコースを前後にツアーガイドがつき滑り出した。遅れないように必死である。斜面を滑るのは何とかなるが、あの重いゲレンデスキーと靴で登るのは息も絶え絶えであった。結局京極氏とガイドのお世話になりラストで滑り、最後の急斜面は何度も転びながらの悪戦苦闘、我ながら嫌気がさすが、さすが大自然の素晴しさに気分を持ち直し、樹林帯の緩斜面はとても気分の良い滑りで、2時間余で周遊道路へ到着し、16時「酸ヶ湯」へ戻った。自炊タイムはあの大きな真鱈捌きを京極氏が、出刃無しの菜切り包丁1本でおろすのを宿の泊り客も感心して見ていた。男のこだわり料理「鱈ちり鍋」は旨いご馳走でした。
 3月21日(土)晴れ 昨夜から10pの積雪があり、青空が見え隠れし、ロープウェイの途中の木々は白く化粧し憧れのモンスターになっていた。「今日は八甲田温泉コースを滑ります。最初の15分は歩いて登ります。」皆のビーコンチェックをしっかりして出発。大勢のスキーヤー達が散って白く広い世界である。大汗を掻きながらの登りはきびしいながら、周りの大岳や井戸岳の眺めは素晴しく気分を和ませる。好天に恵まれてよかった。暫く登ると素晴しい斜面にでた。誰も滑っていないさらさらの新雪を、皆思い思いのシュプールとスピードで滑っていく。私も自分の好きな斜度で気分良く滑っていたら、スキーの先端が雪の中に刺さり思いっきり転んだ。板が沈み雪の深みにはまり、なかなか抜けない。女性リーダーの大野さんに助けられ、またラストで滑り降りた。今度はカリカリの北斜面を横切ろうとしたら谷足が滑り、転び1mほど落ち必死でストックを突き、止めた。「こわいな」と思ったら京極氏が横で「谷足に乗って」のアドバイスで何とか乗り切った。今度は急坂の樹林帯を降りるのだが、スピードのコントロールが利かず、転んだら木にぶつかる恐怖感がわきボーゲン体制でゆっくりと、ラストのガイドさんの滑りにつき、やっと助けられて温泉コースを無事に終えた。午後はまた昨日の銅像コースを滑ったが、相変らずラストをガイドさんの後ろから滑り、皆は明日も午前中滑ると張り切っているが、私の山スキー体験は怪我をしないうちに終ろうと決めた。

 2日目自炊タイムは男性陣がご飯を炊き、無水肉鍋担当で、私たち女性陣は「酸ヶ湯」の大浴場へ、すると笛の音が聞こえ、青森の「ねぷた」のお囃子の方が演奏していた。篠笛を5本ほど温泉に浸しながら、私たちのリクエストに答えて、りんご追分や涙そうそう・雪国などいい気分で口ずさんだ。最後「ねぷた囃子」で終わり、拍手喝さいであった。響きの良い温泉コンサートに感激した。

 3月22日(日)晴れ 午前中、皆は無事滑り終え、「3日間とも全然違う雪質を滑れてとても面白かったよ」私もこんな風に言えるようになりたいなと、未熟なスキー技術を反省した。

 温暖化の影響で今年は2月に雨になり、通年360pある雪が260pしかなく、4月中旬以降の景色で、ゴールデンウィ−クの雪が心配とガイドさん曰く。私についてくれたガイドさんは青森県金木町で農業をしているが、この不景気をバネに農業を起業家して、なんとか若者達が都市へ流れるのを防ごうと頑張っている話を聞く。「青森の自給率は80%ながら、大きな会社が少ないからな」
 ゆっくりスキーを楽しみお喋りをし、青森の良さと農業の大切さを知り、白神山地や八甲田山地を改めて見直したスキーでした。