2009年(平成21年)5月10日号

No.431

銀座一丁目新聞

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〔連載小説〕

 

VIVA 70歳!

            さいとう きたみ著

 

第四章 (つづき) 

夏男:その4

 

16世紀のフランス人、人文科学者、モンテーニュの著書の一部を見たことがある。ヨーロッパによる植民地が急激に増えて行った時代である。それら植民地の人々がフランスとは全く異なった文化や風習を持つことに一驚し、一方的にフランスの考え方や生き方を押し付けても駄目だ、共感、共存して行かねばならないと自戒している。日本が徳川時代に入るか否かの時代に、早くもヨーロッパ人たちは世界の多様性を習得している。メキシコもそうだ。コロンブス以来500年にわたって外国に侵略され続け、外国の文化風習、そして宗教や言語まで押し付けられて来ている。古来の文化、風習とともに、実に複雑な形の生き方がそこには発生している。メキシコは一朝一夕で出来上がったものではなく、今もまたアメリカという大国に接した長い長い国境を通して大きな影響下の中にある。この国を簡単に理解などできるものではない、あらためてそう思うのだった。
メキシコには四季がない、季節の変化が無いところに美意識が生まれる筈はない、食文化にしても、まず季節の変化ありきで、こんな国に旨いものが生まれる筈はない、などと断じる日本人にちょくちょく出会う。彼らの言うことにも多少一理はある。日本には明確な四季がある。そして季節の変化に伴う繊細な料理がある。夏の冷そうめんや冷やっこ、寒い時の鍋ものや汁もの、どれも季節の一面を見事に切り取った料理である。日本人の美意識の多くが四季の変化から生じている。日本の古典歌集などはひと口に言ってしまえば色恋以外は季節の変化以外何も無いとさえ言える。風鈴で涼しさを感じるような世界に類を見ない見事な生活上の美意識が存在している。しかし、夏男は日本から否東京からというべきか、メキシコへ移住して来て自然の変化、季節の移り変わりをより強く意識するようになった。第一、夏男のメキシコの家には暖房も冷房もない。厳寒時も酷暑時もエアコンに頼っていた東京での生活に比べると、まさに肌で季節を感じている。昔の日本人には四季があったと称する方が正解なのではないだろうか。東京に住んでいても確かに桜の咲く頃は都内中でそれを目にすることは出来るし、雪で白く覆われることもある。が、果たして日本の都会に住む人々が本当に四季それぞれを体感しているかというと、どうも疑問である。自然が豊かな地方に居てこそ日本の四季を味わうことが出来るのではないだろうか。
最近、とみに流行ってきているガーデニングは、きっと都会の人々が失われつつある四季の変化への渇望の表れではないか。
メキシコは日本に比べて約5・5倍の国土がある。地球上の全ての気候があるとも言われるように砂漠、熱帯雨林、万年雪の高山、常夏のビーチ、そして夏男が住んでいるような常春のサバンナ。北海道と沖縄の差異より、より変化に富んだ気候が存在する。メキシコはという十把ひとからげの表現はできない。夏男の住むサバンナ地帯で言えば、まず明確な雨期と乾期がある。11月から翌年の5月くらいまでは全く雨が降らない。そして6月から10月くらいまでは毎日雨が降る。おおむね夕刻頃から雷鳴とともに風を伴った土砂降りに近い豪雨である。しかし翌朝は抜けるような青空、南国のダイナミックな太陽が輝く。この雨期を待っていたように植物たちが一斉に芽吹く。そして乾期になると昨日まで青々と繁茂していた植物たちが一斉に花を咲かせ、やがて少しずつ葉を落とし、緑一色だった丘や山が色を失う。劇的とも言えるこの気候に従い植物たちは変化して行くが、それぞれに特性があり一様ではない。メキシコに四季はないが劇的な二季と静かな十季がある、そう夏男は日本人たちに説明する。住民達はそれぞれの方法で様ざまな植物たちに水を与え育てるから人家のある地域には亜熱帯の豊かな植物たちが生き残る。勿論、農作物たちは、それなりに手を加えられ一年中収穫がある。農作物といえば今世界中に存在する多くの種類がメキシコを原産地とする。トマト、カボチャ、とうがらし、とうもろこし、さつまいも、などなど。明治、大正生まれではなくとも、戦中戦後の時代の手作りの野菜の味を覚えている日本人はメキシコの野菜に接して感動する。畑からとりたての野菜には人工的に量産されるビニールハウス栽培の野菜が失ってしまった味と香りがある。トマトがちゃんとトマトの味がする、と当たり前のことに感激するのだ。日本料理の最も優れたところは、それぞれの素材を大切にし、素材そのものの味を活かしていることだと言われているが、実は素材そのものが人工的になっている今日、むしろメキシコにおいて人々は素材そのものの味に出会うことが出来るのだ。広い土地があるということ、亜熱帯であること、この条件はガーデニングなどというちまちましたものではない、ダイナミックな植物栽培が可能となる。夏男の新しい人生における楽しみのひとつが植物の育成である。毎朝 自分の庭から収穫したオレンジやグレープフルーツのジュースを飲めるだけでも大袈裟ではなく、生きていて良かったと思う。野菜たちも全て近在の農家がとり立てのものを市場に出す。バナナやマンゴなどの果物も木で熟したものは、船内や倉庫で少しずつ熟成させたものとは全く異なる旨さがあることをメキシコに来てあらためて知った。
メキシコ料理を不味いと断じる日本人は少なくない。これにはいくつか依って来たる理由がある。ひとつは日本人が多く訪れるアメリカの西海岸、サンフランシスコやロスアンジェルスで言うところのメキシコ料理に接した人々は不幸である。これらの地名がほとんどスペイン語であるとおり、わずか150年前はこれらの地はメキシコ領であった。アメリカ領になってから本来そこに住んでいたメキシコ系の多くの人々は下級労働者として生きて行くしかなかった。貧しかったため最低限度の豆料理などが彼らの日常の食事で、それがアメリカ西海岸には定着している。庶民の最も安い手軽な料理だから決して旨いとは言えない。言ってみれば、かけそばや素うどんが外国人たちに必ずしも珍重されないということに似ている。これはメキシコ国内においても類似する面があり、手軽な屋台のような食べ物屋がほうぼうにある。手軽な軽食であるから日本の大衆食堂のカレーライスやラーメンと同様、決して上等なものとは言えない。
夏男はメキシコ料理が世界に冠たる一大料理であると日々思いを強くする。世界三大料理とか四大料理とか料理に位を与える傾向があるが、中華料理やフランス料理と比してもメキシコ料理は遜色がないもと思う。とは言え食生活、食文化については個個人それぞれの出生あり個性ありで一概に語るほど馬鹿げたことはないし、まして自分の好みを他人に押し付けるほど愚かなこともない。小田実の往年のベストセラー「何でも見てやろう」にも書かれているが、彼が長い海外生活から久しぶりに日本に帰り感激して食べたのは日本本来の寿司や蕎麦ではなく、トンカツやカレーライスのようないわゆる日本洋食であった。メキシコだって欧米と接して500年も経つのだから、わずか150年しか外国と接していない日本とは大いに異なる。世界中の味が導入され混合してゆく。歴史が長いだけではなく日本とは異なり多くの外国人が定住もしているので、当然それぞれの民族の伝統の味が保たれてもいる。日本的外国風料理がポピュラーな日本人の味になったように、今やどこの国の料理か判然としないものが数多く存在している。この近年、世界中に寿司がポピュラーなものとなりカリフォルニア・ロールなどに至っては果たして日本食なのかアメリカ料理なのか、誰しも答えることはできない。食文化について語るとき、気をつけなくてはいけないのは日常の食事と外食、わけても高級料理屋のそれとは区別しなくてはならない。日本通の外国人が絶賛する日本料理は、例えば京都の懐石料理であったりする。70歳になる純粋な日本人である夏男だって、そんな高級料理は数えるほどしか食した経験がない。料理には味そのものだけではなく、食器や盛り付けや食べている場の良し悪しなど様ざまなファクターが加味される。世界一の料理とされているフランス料理だって高級レストランのプレゼンテーションは凝りに凝っている。メニューひとつとっても実に文学的だし、やれジョルジュ・ボアイエの食器だ、マッピン&ウエッブの銀器だ、豪華なテーブル、椅子、テーブルクロス、盛花、加えてソムリエやウエイターの優雅なマナー、それらが束になって客に迫ってくる。これらはフランス人にとっても日常の食事とは異次元のものであろう。凝りに凝ったソースがあまりにも上出来なので本当のところ食材そのものは大したことないのではないかと疑いたくもなる。メキシコでも勿論、それに似た状況はある。夏男が気がついたのは、メキシコ人たちが言うところのフィエスタ、つまり宴会が大好きなことだ。数多く存在する聖人たちの記念日が次々とやって来るだけでなく、やれ誕生日だ、やれ成人式だ、金婚式だ、婚約式だ、と家族だけでなく親類、縁者、時には近隣の人々も招き、パーティーをする。主婦だけでなく、おばあちゃんや客人たちも腕によりをかけた料理を作ったり持参したりする。子供たちは、幼いときからオフクロの味だけではなく、オバアチャンの味やオバサン、大おばさんの味を知ることとなる。今や世界中の食材となっている多くのものがメキシコ原産だということは単に原産地として食材が豊富だということだけでなく、それらの食材を保ち、普及させて来た歴史が長いということで、調理方法においても長年の工夫が活かされている。例をとればとうがらしだ。種類の多さにも驚かせれるが、単に生で使うだけでなく、干したもの、燻製にしたもの、それらを焼いたり煮たり摺ったり、まことにバリエーションが多い。野菜だけでなく日本の5・5倍も広い国土だが、太平洋と大西洋に接していることから海産物の料理も豊富で多くの欧米人が嫌うイカやタコもお馴染みの食材である。珍味も多い。日本人がトウモロコシ栽培の                                          時に恐れたお化けトウモロコシと呼ぶ黒穂病のものが珍重される。戦後、日本人の多くが家庭菜園で育てたカボチャ、飢えに苦しんでいても捨て去っていたカボチャの花がメキシコでは大切な食材である。秋田名物のトンブリも大切な食材だし、デイゴの花もハイビスカスの花も食材である。もうひとつメキシコの食生活で忘れてならないのは食事の回数である。おおむねメキシコ人たちは二食である。朝、学校などは7時に始まり一般の会社も8時には始まるが、その前にしっかりと朝食をとる。多分スペインのシエスタの習慣の名残なのか、昼食は通常3時頃である。この昼食がメインで、ゆっくりと食べる。酒を飲むことも一般に許されている。多くの外国人が陽の高い午後から盃を傾けるメキシコ人を見て、メキシコ人が怠け者だと誤解した史実もあるが、すでに7,8時間の労働を終えている人たちなのだ。陽射しが強い亜熱帯であることが朝早い労働を促進した面もあるだろう。
1,2時間かけてご馳走を楽しんだ後、エクゼクティブたちは再び職場に戻り働く。8時、9時まで働くひともザラで、夏男は当初むしろメキシコ人の働き過ぎを心配したほどだ。
夜、寝る前に育ち盛りの子供達はパンとミルクをとることもあるが、多くの大人たちはチーズ程度の肴で軽く一杯やって寝る。アメリカや日本の観光客が正午12時頃レストランに出かけ、どこの店も閉まっているのに戸惑うが、一般にレストランの開店は1時か2時だ。糖尿の持病を持つ夏男にとってこの一日2回の食生活はまことに好影響をもたらしている。日本でも産地直送の食材が人気があるように、メキシコでも流通の進歩が食生活にも福音をもたらしている。どこの国にもその地方地方の独特な料理があるように、この広大な国にも様ざまな料理がある。それらが、今日どこに住んでいても楽しめるようになった。ベラクルスあたりの特産だった海水が混ざった河口で採れる特別美味な海老などはその代表的なものだ。茸の類も多種多様なものが味わえる。メキシコ・シティーに200軒近くある日本食レストランがまだ増える傾向にあるのは流通の進歩と無縁ではなかろう。夏男はメキシコに来て楽しんだ料理のひとつにスープがある。実に数多くのスープがあり、一ヶ月毎日ちがったスープを楽しむことも可能である。日本人がラーメンに限りなき愛着を持つのは、どうも美味いスープに渇えているからではないか。味噌汁は確かに日本の誇る栄養食だが、いくら具を変えても基本は味噌の味である。しかも米飯とのコンビだ。スープは単独で米やパンが無くともそれ自体で美味い。70歳という年齢から考えてもスープはこれからも夏男にとって大切な料理となることだろう。
遂に夏男とカンナの終の住処が出来上がった。2000平米(600坪)の土地に200平米(60坪)家を建てた。水が貴重な国だからまず地下に日本人から見ると巨大としか言えない人の背が届かぬほどの深さの水槽を作ることから始まる。このあたりの家では上水、中水、下水の三種の水を使い分ける。水槽には雨期の雨水を貯め乾期に庭の植物たちにやったり、クルマを洗ったり、池の水に使ったりし、これがいわゆる下水である。中水は水道からとったり給水車で運んでもらったりして洗濯や風呂、シャワーに供する。飲んだり、料理に使ったりする上水は一般にはガラフォンというプラスチック製の容器に入ったものを購入する。この甕というかビンというかの容器はかなりの大きさで栓を開けてエイヤっと逆さまにして給水器の上におさめる。これが出来なくなると老人ということになるので夏男も今のところ頑張って一人でやってはいるが、どうも近々、この仕事からもリタヤーしなくてはなるまいと半ば諦めている。もう少し広い土地がほしかったのだが、二人暮らしには十分すぎる広さだと思えたし、予算の点からもこのあたりがちょうど良いところとも思った。ただ残念だったのは大型犬の放し飼いには庭の広さがやや不足とも思えたので、小型犬で我慢することにした。ドーベルマン・ピンシェルのミニアチュアを2匹、ダックス・フンドを2匹、それぞれ兄弟を手に入れた。犬好きにとって仔犬ほど可愛いものはない。彼らはひねもす庭を走り周っている。犬の寿命はドッグフードの進歩などから急速に伸びてきているとは言え、大型犬が10歳、小型犬が15歳くらいが限度だ。この短い生涯をフルに使いたいかのように2歳くらいまでは兎に角四六時中動き回る。ピンシェルの方の2匹はウイスキー、ブランディーとし、ダックス・フンドにはテキーラとヴィーノ(ワイン)という名を与えた。早朝であってもこれらの酒の名を大声で叫べるのはまことに快感であるし、酒の名ならおおむね世界共通だというのがこれらの命名の正当化の屁理屈である。時には町へ連れて出ることがあるが、大部分の時間は庭内で過ごす。ある時、町に連れて出ると犬好きのメキシコ人たちの多くが声をかけてくる。
「何の種類の犬?」
「名前は何というの?」
「何歳くらい?」
などなど。そうして近寄って来て触れたがる。犬の方も心得たもので別に吠えたりしないから番犬としての役務を果たせるのかと心配したものだが、ちゃんと夜間にはセキュリティーの役を果たしている。本能とでもいうのだろうか。人間だけでなく猫もネズミもリスなど外部からの侵入者には容赦しない。特にメスはより敏感なのか立派にパトロールを果たす。メキシコでも盆栽が流行していてデパートなどにも当たり前に盆栽コーナーがある。本来の意味から少しはずれ、盆栽というのは小さいものの表現になっている。カンナと犬たちが散歩している時、子供たちがボンサイ、ボンサイとこの小さな犬たちに声をかけるものだからカンナはノー、ノー、うちの犬たちは凡才じゃなくて天才なのだと反論していたが、日本語の駄洒落が彼らに通じる訳もない。メキシコを過小評価する人々が普段は気になる夏男なのに、自分自身やや見くびっていたもののひとつに犬の飼育がある。しかし予防注射もしっかりしているし、狂犬病やフィラリアなどは皆無に近い。そういえば世界のほうぼうで牛肉のBSEや鳥インフルエンザで問題になることが多いが、この国には無い。少なくとも現在は無い。これはまだ町や村に獣医が多くいることがひとつの理由であろう。日本では見なくなった農耕馬が今も働いていることも関係していると思う。メキシコを愛しているにもかかわらず何となくこの国の社会の公衆衛生には不信感を持っていたので、これらは夏男にとって嬉しい誤算であった。大型犬に対する憧憬は今もあるが、マエストラY子の家のシェパードが10歳前後で次々に死んで行くのを見ていると、小型犬でよかったのかもしれないと自らを慰めるのだった。また日中の光が強い国だからシェパードのような長毛の犬にはいささかつらいのではないかとも思う。
 

(つづく)