2009年(平成21年)4月10日号

No.428

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追悼録(344)

加藤周一さんの偉大さ

 友人の鷲巣力さんから加藤周一さん(昨年12月死去、享年89歳)の追悼集の掲載された月刊「百科」(平凡社・4月号)と「ちくま」(筑摩書房。3月号)が送られてきた。鷲巣さんの紹介で加藤さんと会い、私が主催したマスコミ講座の講師になっていただいたこともある。鮮明に記憶しているのは「日本の新聞を読んでいては外国のことが分からない」という嘆きの言葉である。社会学者、日高六郎さんの追悼文によれば、加藤さんは戦時中、長野追分で、朝から晩までフランス文学の本ばかり読んでいると村人を驚かしたというから、なるほどと思う。日高六郎さんは東大医学部在学中の加藤さんが第二次世界大戦で日本が敗北すると断言していることに驚いたと書く(月刊「百科」4月号)。当時、東大の法学・文学・経済学部の教授や助教授たちの中で、日本が敗北すると考えていた人が3%にも満たなかったとも記す。交友関係は知識人や文化人だけでなく地域の人たちにも日ごろから声をかける人であった。鷲巣さんは葬儀の朝、出入りの植木職人が新聞で知って弔問に訪れたことを書いている。「そんな偉い方だとは全く知りませんでした。でもお別れをしたくてまいりました」と職人は語ったという。
 私の書棚に加藤さんの「真面目な冗談」(平凡社・1980年7月10日第二刷発行)がある。そこに5ヶ条の「当世文士の心得」が紹介されている。大意を書く。
 1条、「文士の経験は貧しいものと知るべし」昔に比べたら現在「大家族なく、赤貧なく、留置場なく、職場なし」とある。
 2条、「空想を逞しくすべし」作文の要は空想にあり。自分の女房の心理のみならず、クジラの感情や宇宙人の気分を想像すべし。毛沢東の心事やマリリン・モンローのほろ酔い気分まで空想すれば、なおよろし。
 3条、「舞文曲筆すべし」文を作るに環境を選ぶな。修道院の一室で作文した人もおれば流滴の地で珠玉の文を作った人もいる。驚天動地の経験必要とせず。
 4条「不思議の国のアリス」を読むべし。すなわち数学。これこそ経験に係わらぬ唯一つの学なり。
 5条、「劇画を学び習うべし」キャーと叫び、ギューと抱きつく「映像」文化に文壇の未来あるべし。
 私に欠けているのは「空想」である。これはよく夢を見るのでそれを膨らましていこうと考えている。一木一草、道端の石すべて記事の種になると思ってこれまで処してきた。
 「不思議の国のアリス」の作者は数学者で、ヴィクトリア女王と皇女にこの本を贈ったところ大変喜ばれた。次に書かれた本も所望されたので、次に出した数学の本を差し上げたという有名なエピソードがある。これからの時代「映像」は強力な発信媒体となる。活字文化は取材力と逞しい空想力を忘れてはなるまい。いろいろ教えていただいた加藤周一さんの心からご冥福を祈る。
 

(柳 路夫)