2009年(平成21年)3月10日号

No.425

銀座一丁目新聞

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花ある風景(340)

並木 徹

映画「おくりびと」に死を考える

 第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、滝田洋二郎監督の映画「おくりびと」をみる(3月3日・東京・有楽町松竹ビカデリー)。死んだ肉親以外に棺に収まった遺体の顔を見ないようにしているので映画には余り気のりしなかったが、主演の本木雅弘が青木新門著「納棺夫日記」を読んで15年間も暖めていた企画であったと言うことから興味がわいた。映画の出来としては素晴らしかった。納棺師の存在を初めて知り、その仕事の立派さも分かった。何故か見終わった後の気持ちは重かった。
 胸に刺さったのは火葬場職員平田正吉に扮した笹野高史の「つぶやき」である。銭湯「鶴の湯」を夫の死後一人で切り盛りしていた山下ツヤ子(吉行和子)の遺体を焼く寸前に「死んだ人は門に入って行くんですね。だから我々も門に入ればまた会えるんですね」この「つぶやき」に万感の思いがこもっていた。
 心理学者ユングは「死者は自己完結の旅行に出る」といった。だからまたどこかで必ず会えるはずである。そういえば、主人公小林大悟(本木雅祐)は「旅のお手伝いの仕事」の就職案内広告を見て納棺師の仕事に就いたはずである。「旅の手伝い」云い得て妙である。
 納棺師・NKエージェント社長、佐々木生栄の山崎努はうまい。ぐいぐい大悟を納棺師の世界へ引っ張って「旅のお手伝い」にのめりこませる。
 平田正吉は「鶴の湯」の50年来の常連客で、クリスマスの夜、山下ツヤ子と二人で蝋燭をともし、二人でケーキを食べながら一緒に暮らす約束をしたという。山下ツヤ子の突然の死を前にして「死んだ人は門に入ってゆく」という言葉を発するのである。「こういうことなんですね」とあきらめきれないながら納得したような平田正吉の顔が何ともいえない。もちろん山下ツヤ子の遺体の化粧は元チェロ奏者、小林大悟がする。それを妻の小林美香(広末涼子)がみつめる。「そんな汚らしい仕事は辞めてほしい」と懇願、聞き入れないと知って実家に帰っていた美香であるが、妊娠したため大悟の元に戻ってきて「納棺師をやめるよう」迫ったところであった。大悟の納棺の素晴らしい業をみて納得する。最後は6歳の時、愛人とともに家を出た父親(峰岸徹・峰岸はこの映画上映期間中亡くなった)の納棺もする。画面の合間に流れるチェロの調べに遺体・納棺・通夜・告別式の重くるしい雰囲気を和らげてくれるが、すっきりしない。私は何故か死の世界に引きこまれそうになる。むかしからそうである。「死」と何か。天が定めた寿命のつきるところで、生まれたときは産湯を使ったのを、今度は化粧をする。新たな門出であるが・・・
 どうも気分がさえない。まだ悟っていないのだ。死神を畏れているということであろうか。それを認めたくない己がいる。それが気分を重くしているのかもしれない。