1998年(平成10年)8月20日(旬刊)

No.49

銀座一丁目新聞

 

ホーム
茶説
映画紹介
個人美術館の旅
街角ウォッチング
スーパーウォッチング
連載小説
ゴン太の日記帳
海上の森
告知板
バックナンバー

ゴン太の日記帳 (15)

目黒 ゴン太

 「バカは、カゼをひかない。」誰が言ったか知らないが、この言葉が、本当ならば自分は馬鹿ではないことになる。そうつまり、夏カゼをひいてしまったのだ。

 しかし、カゼをひいたからと言って、お盆に入って、田舎に帰る人が多かった為、バイトは休めず、やっと今日、一日休みができたのだ。かなり無理してた為か、もう一週間近く、鼻をズーズーすすり、咳き込み続けていて、薬を飲んでも効かないので、性に合わないのだが、一日、外に出ず、ゆっくり寝て、安静を取ることのした。

 そんな訳で、家で一人、何をする訳でもなく、ボーッと寝ているのだが、自分にとってこれは、大変な苦痛である。まず退屈で、何より寂しい。こんな日に限って、誰からも電話さえ無かったりするから、やっていられない。そんな折、ふと様々な思いを巡らすのだが、その中で、先日、数人の友人と、自分が酒を飲みながら、友情や友達について、熱く語っていた際、その中の一人が、自分に対し、「お前と俺の考え方で、決定的に違うのはそこだ。」と言い放った時のことを思い出した。彼の言った、決定的な違いと言うのは、自分は、友情、友達といったものの存在を肯定するが、彼は、それらを単なる幻想でしかなく、それらにすがるのは馬鹿バカしく、人は結局一人であることを早く理解すべきだ、と言うのだ。これを聞いた時、自分は、何とも言い難い喪失感を覚えた。当たり前だが彼と、自分は、”俺ら友達になろうぜ”等と約束した訳ではない。ただ、話し合うし、気も合うと思っていたので、よく会って遊ぶようになっただけである。でも、やはり、自分は彼も、自分と同じ様に、友達という観念を持って付き合っていて欲しいと願っていたのだ。これは、単なる自分の思い込みであり、彼に対しては、考えを勝手に押し付けていたことにしかならないのだが…。

 しかし、彼の考え方も、自分は少しわかる気がする。それは、何を友情とするか、どこから友達と呼べるかにかかってくるのだが、これは人それぞれ違うと思う。でも、最近、感じるのは、余りにも表面的な付き合いを好む人が多いことだ。確かに、人との関係の中で、はじめは、表面的なものから入っていく訳だし、誰にでも本音や内面的なものを見せるという訳でもない。しかし、終始、建て前だらけの関係にあるものを、友情等ととらえるしかない環境が多く、それは、悲劇的だが自分の友人の言う様に幻想にしか過ぎないと言える。

 自分にも、本当の友情が、どんな関係であるか等、見当もつかない。でも、自分には、親友と呼ぶべき者が少なくとも2人はいる。彼らのおかげで、自分にとって幻想ではなくなっている気がする。もし、自分も、幻想としか思えなかったと考えるとゾッとする。誰と居ても、今日、自分が家で味わう孤独が続くと思うと、絶対に耐えられないと思うから。

 

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp