2008年(平成20年)10月01日号

No.409

銀座一丁目新聞

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安全地帯(227)

信濃 太郎

90歳の映画監督の作品「夢のまにまに」

 90歳の新人映画監督木村威夫の映画「夢のまにまに」を見る(9月17日・10月18日から東京神保町・岩波ホールで上映)。映画は広場のコブのある大木を中心にして人生模様を描きながら、主人公の「思いやり」を優しく描く。木村監督はこれまで、鈴木清順、熊井啓、黒木和雄ら監督の数々の映画で美術を担当した著名人である。それぞれの名場面が頭に焼き付いている。その名場面の真似だけは絶対にしたくないと撮影に臨んだという。あっちに飛んだりこちらに飛んだり多少わかりにくいところもあるが、それは題名通り「夢のまにまに」でいい。すでに第2作目を手掛けている。90歳にしてこの意欲、うらやましい限りである。
 配役陣がすごい。主人公に長門裕之、その妻有馬稲子、宮沢りえ。桃井かおり、観世榮夫などが出演する。木村監督は十代で映画界に入り、終戦直前には既に映画「海に呼ぶ声」の美術を担当していた。時に27歳。空襲も経験し闇市も知っている。戦没学生の絵画を展示した長野県上田の「無言館」にも足を運ぶ。特攻が出撃した知覧にも訪れる。映画の主人公は木村監督そのものであると言ってよい。大空襲の日、コブのある大木のところで主人公・木室創は若い乙女エミ子と知り合い、ひとりぼっちとなったエミ子と結ばれる。
 物語は今は老夫婦となったところから始まる。木室は映画学校の学院長、妻はややぼけ気味で切り絵とピアノを楽しむ。木室の妻へのいたわりはあくまでも優しい。それに妻は涙を流して感謝する。そこに登場するのが学生村上大輔(井上芳雄)と木室との交流。左腕に心の恋人であるモンローの入れ墨をしている村上は最後は「現実逃走症候群」で死んでしまうのだが、木村が村上との手紙のやりとりで見せた人間愛は見事というほかない。大輔が歌う「夜のプラットフォーム」(詞・奥野椰子夫,曲・服部良一)「星はまたたき 夜深く・・・」の歌声は未だに耳に残る。木村監督にとってこの歌は「人生の応援歌」であろうか。とりわけ「さよなら、さよなら 君いつ帰る」のフレーズが好きであったろうと思う。木村さんは別れの哀愁を知り、人間の別離の悲しさを胸に秘める。
 若い村上は「無言館」にも「知覧」にも訪れる。若者の死を考える。「なぜ戦争なんかしたんだ。芸術を志した者が、人を殺すための世界に追いやられて、そして死んだ。絵を描きたいのにみんな死んでしまった」の村上の叫びは木村監督の思いでもある。「上田市東前山300」にある無言館は「芸術とは、人間とは、平和とは何かに思いを凝らす祈りの場」なのだ。知覧の「特攻平和会館」。九州に7年半も勤務したので5、6回訪れている。はじめは販売店の店主の人たちと観光バスで行った。女性のガイドが特攻の説明をする。涙なくしては聞けなかったのを思い出す。軍学校で学んでいた私は敗戦の年の10月卒業,第一線に立つはずであった。航空士官学校に進んだ同期生たちは満州で操縦の訓練をしており、操縦のうまい者たちは99式高等練習機で特攻のために訓練に入っていた。現に沖縄戦では99式高等練習機に250キロ爆弾を積んで特攻に出撃していた。
 宮沢りえは闇市で赤ん坊を抱えた飲み屋のママで姿を見せたり画家中埜順子で現れたりする。コブのある大木の絵を木村は買って部屋に飾る。おそらく木室創の初恋の人は飲み屋のママや画家に似ていたのだろう。絵の購入はその面影との決別を意味する。エミ子にしても広島の原爆で姉を失う。形見はアルミの弁当箱だけである。初恋の海軍士官は戦死する。その面影は忘れがたい。それもやがて払拭する。戦争をめぐる人間の生と死、まさに夢か幻である。悠久の世界に比べれば人生は一瞬にすぎない。コブの木のもとで飲み屋のママを囲んで闇屋たちが酒を汲みかわす幻のようなシーンが出くる。ふと私は井伏鱒二さんによる干武陵の「勧酒」の名訳を思い出した。「勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」「この盃を受けてくれ。どうぞなみなみつがしておくれ。花に嵐の例えもあるぞ。さよならだけが人生だ」木村監督の「人生の応援歌」「夜のプラットホーム」と繋がってくる。だとすれは、映画の題名は「さよならだけが人生だ」が最もふさわしい。