2008年(平成20年)10月01日号

No.409

銀座一丁目新聞

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花ある風景(324)

並木 徹

メキシコ人歌手、オペラ「夕鶴」を日本語で歌う

 メキシコ人歌手による日本語上演オペラ「夕鶴」(作曲団伊久磨・台本木下順二)を見る(9月21日・東京世田谷・昭和女子大人見講堂)。「オペラは生まれたその国の言葉で」という黒沼ユリ子さん(音楽家・メキシコ在住)の夢が実現したのは5年前のメキシコであった。2005年10月グアナフアトで開かれた「33回セルパンティーノ国際芸術祭」でメキシコの4人のオペラ歌手が日本語で「夕鶴」を見事に上演、観客の大拍手を浴びた。その4人のオペラ歌手、つう(ソプラノ)エンカルナシオン・バスケス、与ひょう(テノール)アンヘル・ルス、運ず(バリトン)ホスエ・セロン、総ど(バス)ダニエル・セルバンテスが日本の舞台に立った。2006年5月、上野の東京文化会館で着物姿のバスケスは「夕鶴」のアリアを三曲歌っている。世田谷フイルハーモニーを指揮するのはジェームズ・デムスター。メキシコでの「夕鶴」初演の指揮者でもある。セミステージで繰り広げられた「夕鶴」は観客を酔わせ、深い感動に包みこんだ。
 折からの雨にもかかわらず1800の席を埋めた観客は拍手を惜しまなかった。4年前の上野の東京文化会館でのコンサートにおいでになられた美智子皇后さまはこの夜も姿を見せられ、観客からの温かい歓迎の拍手を受けられた。
 舞台で「鬼遊び」の歌「カゴメ」を歌ったのは6人のメキシコの少年少女たちと6人の世田谷合唱団の子供たちであった。「かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる よあけのばんに つるつる つうべった うしろの正面だあれ」。「つう」も子供たちと遊ぶ。助けられて恩返しに「与ひょう」のもとにお嫁にきた「つう」は、子どもと同じく純情無垢である。それだけに「運ず」と「総ど」にそそのかされて「与ひょう」がお金のとりこになってゆくのを悲しむ。「これなんだわ おかね これなんだわ おかね・・・・」つうの嘆きは肺腑をえぐる。汚染米、産地偽装、お金のためにはどんなことでもする現代の風潮は「つう」ならずとも嘆かざるを得ない。去ってゆく「つう」に「与ひょう」が「つう ・・・つう・・・」と叫ぶ声はいつまでも耳に残る。神に己の罪を謝罪する声か、人間の業を悲しむ声か・・・。人間は悲劇が起きないと分からないしょうもない動物なのであろうか。
 幕が下りて子どもぶんか村ジュニアコーラスが「メヒコと東京」(作詞黒沼ユリ子・メロディーは「ラス・チャパネカス」)を観客の手拍子で合唱した。
 ダリアとコスモスの国(タン・タン=手拍子)
 サクラと菊の国(手拍子)
 二つの国つなぐ(手拍子)
 すばらしい音楽(手拍子)
 さ― 一緒に楽しく
 歌をうたおーよ
 美しい響きと友情で
 ト〜ド〜ス フントス カンテモス
 ベ〜ヤ〜ス カンシオ〜ネ〜ス
 ビーバー ラ ムジカ
 ビバ〜ン メヒコ イ 東京(手拍子)
 日本とメキシコの文化交流につくす黒沼ユリ子さんの気持ちが十分伝わる歌詞である。この東京公演は世田谷フイル並びに多くのサポーターの支援がなければ実現しなかったことは会場の雰囲気から伝わった。音楽フアンの一人として感謝をささげたい。