安全地帯(225)
−信濃 太郎−
日本人がおかしくなった
産経新聞がこんな事を書いていた。「先の国会で野党は『首相は責任をとれ』と問責決議を参院に提出し可決している。何故『よくぞ我々の言うことを聞いてやめてくださった』と拍手してやらないのか▼今回の決断は福田首相の最大のヒットだ、とへそ曲がりの小欄は考える・・・・」(9月3日「産経抄」)
私は別にへそ曲がりとは思わないのだが・・・。実は9月2日の本紙「銀座展望台」で福田首相の辞任決意をほめて書いている。▲福田康夫首相辞任を表明す。「無責任」「放り投げ」と非難もあるが、「出処進退」は自分で決めるもの。誰にもその決意を知られなかった意味では鮮やかであった。「首相の座」にしがみつかなかったのは潔い。
福田首相を批判する人々は福田首相が今の難局から逃げ出すと見えるからであろう。私は最大の難局「総選挙」に自分の内閣の下では勝てないと感じたからだと思う。内閣改造以来公明党の態度の変化をいち早く感じたであろうし、与党内の求心力も落ちたと思ったことであろう。
自民党出身の首相として選挙に勝つにはどうしたらよいか考えるのは当然である。「安倍前首相より無責任のそしりを免れない」(毎日新聞)というのはいかがなものか。
「新布陣で政策実現」しても今の劣勢を挽回するのは無理であろう。
ともかく福田退陣で選挙は近くなった。(銀座展望台)
財界人も今回の福田退陣には批判的で褒めた人はいない。日本には物事を的確に分析・総合判断できる識者が少なくなったと言うことであろう。とりわけ新聞界は取材力、情報収集能力が一段と落ちているように思われる。どこでどう間違ったのか、日本人がいつの間にか小粒になってしまった。
今年もまた誕生日に水野正人さんからお祝いのカードをいただいた。それには産経新聞に掲載されたハワイ州知事であったジョージ・アリヨシさんのことにふれていた。有名な話だが、引用する。
ハワイで生まれたアリヨシさんは1945年米国陸軍に入隊したばかりの軍人として東京に来た。東京丸の内の旧郵船ビルを兵舎として勤務していた彼が最初にあった日本人は両親を亡くした3歳の妹と過酷な時代を暮らしている7歳の靴磨きの少年であった。空腹の様子をみかねてパンにバターとジャムを塗ってナプキンに包んで少年に渡した。少年は「ありがとうございます」としっかり礼を言って靴磨きの箱にしまった。「空腹ではないのか」の問に「お腹はすいています。でも家で待っている妹のマリコと一緒に食べたいのです」。アリヨシさんはわずかなパンを妹と分かち合うと言う気持ちに感動した。勤務2ヶ月で学業復帰のため帰国した。その後二人の消息を探したが分からなかった。水野さんは「今は消えつつある気概と人をいとおしむ心を見たように思った」としたためてあった。
「気概」と「人をいとおしむ心」を日本人はいつの間にかどこかへ置き忘れてしまったのではないか。
とすれば、人々は「へそ曲がり」の言うことをよく聞かねばならない。