花ある風景(322)
並木 徹
こまつ座が描くC級戦犯
井上ひさし作、栗山民也演出「闇に咲く花」を見る(8月30日・東京新宿・紀伊国屋サザンシアター・9月4日から10月31日まで各地で公演する)。3度目である。不思議なものでその都度感慨が異なる。前回は2001年8月であった。感じたまま書き記す。
●場所 千代田区神田猿楽町愛敬神社
●時 昭和22年(1947年)夏
神主の牛木公麿(辻萬長)の息子健太郎(27歳・石母田史郎)が復員してくる。輸送船が撃沈され、一昼夜漂ううち敵の潜水艦に助けられ、カリフォルニァの収容所に送られた。輸送船から夜の海に投げ出される際頭を強く打って記憶喪失になってしまった。治ったのは米軍野球チームと野球中のこと。頭にデッドボールを受けたとたん、陸軍上等兵牛木健太郎であるのを思い出した。そのボールを「僕のお守りだ」と示す。一足先に復員した精神科医、稲垣善治(27歳・浅野雅博)とは錦華小学、神田中学、職業野球団イーグルスと12年間、一緒であった。金星スターズの入団テストに一発で合格する。
健太郎は言う「球場は静かな方がいいです。投手には捕手のミットの音が聞こえて、その日の自分の調子がわかります。内野手も外野手もカーンという音で打球がどこへ飛ぶか判断できる・・・」今の野球は鳴り物入りの応援でこの野球の醍醐味が薄れている。
公麿のもと5人の女性がヤミ米の買いだしとお面づくりで生活を立てている。神田警察署猿楽町交番・鈴木巡査(小林隆)が「一升分けてください」とくる。女たち一斉に首をふる。
繁子(35歳・増子倭文江)「上野駅。昨日、1日中、大掛かりな一斉検査があったと小耳にはさみましたのでね。今日は大丈夫だろうと踏んだのです。そしたらみごとに裏の裏をかかれてしまいました」
藤子(33歳・山本道子)「4斗も没収されたのよ。かえしてよ」
勢子(29歳・藤本喜久子】「松戸の農家から4千円でゆづってもらったお米なんです。つまり私たちはたった1日で3千5百円以上も損したことになります(買い上げ価格は4百75円)。そのうえ、お面作りもの本業も丸一日、しごとがおくれてしまいました」
香代(25歳・井上薫】「おかげで今夜は半徹夜」
民子(21歳・高島玲】「蚊取り線香代ぐらいお出しなさい」
この5人の女性はたくましい。敗戦に負けずともかく強く生きる。このころ私は無為徒食、母親が着物を持ち出し近在の農家からサツマイモと取り換えてきてくれた。ときにはお米の時もあった。常に空腹であった。今の若者には想像もできまい。
健太郎にC級戦犯容疑がかかる。容疑は誠にたわいのないことである。グアムで現地の青年を座らせて17回も彼めがけて硬式ボールを投げ、最後の一球が青年の額にあたり青年は脳震とうを起こし全治1ヶ月の傷を与えたというものであった。お灸を据えたことが「火あぶり」,ごぼうを食べさせたことが「木の根を食べさせられた」ことなどが虐待したことになり「人道に対する罪」に問われた。ともかく勝者による敗者への復讐劇であった。
一方的に裁かれた。処刑された人々はB、C級戦犯は9百人を超える。GHQ法務局主任雇員・諏訪三郎(石田圭佑)からお守りのボールが稲垣に手渡される。諏訪「グアムから昨日届いた遺品のボールです。あの人はこれを最後まで握りしめていたそうです。さよなら」
私は昭和23年12月23日巣鴨プリズンでA級戦犯が処刑された際、巣鴨ブリズンの現場にいた。フイリッピン・モンテンルパ刑務所の戦犯が釈放されて白山丸で横浜港に帰国した際には白山丸によじ登り釈放された戦犯たちの取材をした経験を持つ。演出家栗山民也が言うように「人間は忘れてしまう動物だからこそ、向き会わねばならない歴史に向かう」の言葉を大切にしたい。