2008年(平成20年)6月20日号

No.399

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花ある風景(314)

並木 徹

「「父と暮らせば」を五たび見る」

 作・井上ひさし、演出・鵜山仁。こまつ座公演「父と暮らせば」を見る(6月18日・紀伊国屋サザンシアター)。見るのは今回で5回目である。その都度、泣かされ、考えさせられる。配役は父竹造(辻萬長)その娘、福吉美津枝(栗田桃子)であった。
日本に投下された原爆の威力はどれほどであったのか。竹造さんがわかりやすく説明する。「あの時、広島の上空580メートルのところに太陽がペカーッ、ペカーッ二つういとったわけじゃ」という。二つも同時に太陽が頭の上にあったら人間はひとたまりもない。つまり太陽の中心の温度は6000度、原爆の爆発から1秒後の火の玉の 温度は摂氏1万2000度である。だから太陽が一度に二つ生まれたわけである。
 この二つの太陽が生んだ稀有の惨劇を原爆詩人は詠む。
「こときれし子をそばに、木も家もなく明けてくる」
「炎天、子のいまわの水さがしにゆく」
「くりかえし米の配給のことをこれが遺言か」
「なにもかもなくした手に4まいの爆死証明」
(長崎で被爆、妻と3児を失い長女と二人残された松尾あつゆきさんの作品)
 美津枝は「死んだ人に申し訳ない、自分は幸せになってはいけない」と己の恋を禁じた。禁じれば禁じるほど、観客には青年への思慕が痛いほど伝わってくる。青年の原爆関係の資料を預かることとなり一人住まいの美津枝の家に車で運ばれてくる。今回はその車のエンジンの音が弾んでいるように聞こえた。2回目のエンジンの音の方が余計に弾んでいた。
最後に美津枝が「ありがとうございました」と亡き父へ感謝の言葉で幕となる。その感謝の言葉が禁じた恋を解禁した意味であるのがやっとわかった。今までこの言葉になぜかホッと安心感を抱いたがそれほど深く考えなかった。エンジンの音とともに井上演劇の奥深さを知る。
 プログラムにはテニアン島の滑走路の写真があり「エノラ・ゲイはこの地から離陸した」とある。テニアン島は幅わずかに5キロのサイパン水道をへだててサイパン島と隣接する。その平坦な地形はマリアナ諸島の中で最適な飛行場適地である。日本空襲を狙う米軍がここを抑えないわけがない。日本軍守備隊が玉砕、ここが占領されたのは昭和19年8月3日であった。それから1年後、B29「エノラ・ゲイ号」は原子爆弾を積んで広島に来た。
 当時の大本営の発表(昭和20年8月7日15時30分)によれば「1、昨8月6日、広島市は敵B29少数機により相当の被害をこうむった。2、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細は目下調査中」ということであった。あれから 63年目を迎える。写真説明を読む。「狙いすました目標は広島市の中心、相生橋。離陸時間は1945年8月6日午前1時45分」。広島に原爆を投下したのは午前8時15分17秒。爆発観測と記録撮影のための随伴機2機をしたがえ四国沖から広島上空に侵入、9600メートの高さからウラン爆弾「リトルボーイ」を投下した。「リトルボーイ」は上空580メートルまで落下したところで爆発した。お芝居「父と暮らせば」は「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」と訴えてやまない。

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