2008年(平成20年)5月10日号

No.395

銀座一丁目新聞

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山と私

(42)
国分 リン

−瞼に焼きついた北アルプスの展望「常念岳」と「大天井岳」

 青空に輝く白き峰の連なり、左から木曽の御岳山・白い塊の乗鞍・ギザギザ前穂から吊尾根がありジャンダルム(衛兵)を従えた奥穂・黒い岩の涸沢・北穂の特徴ある姿・大キレットから南岳・大喰岳・姿形から誰もが知る槍ヶ岳を一座一座丁寧に教えるスポニチ登山学校の岩崎講師、今回彼のカメラード(山仲間)の鈴木・古谷講師のもと18名の雪山訓練である。辛かった胸突八丁、三歩登っては一呼吸大きく深呼吸してはまた登るの繰り返し。今年のトレーニング不足が原因だ。友のMさんが「急がなくていいから、一歩一歩ね」と後ろでサポートしてくれたので登れた。やはり夜行バスはきつくなったかなとも思う。休憩場所は雪崩や落石の心配のない場所を選ぶことを教えられる。胸突八丁は夏道なら樹林帯をジグザグに登った記憶があるが、雪が着いているこの時期は直登出来る。休憩中に周りを見渡すと岳樺が腰まで雪に埋まり頭だけを出しがんばれと言っている様だ。やっとの思いで常念乗越(2466m)へ到着。小屋の赤い屋根だけが見え、雪に埋まっている。
 Tさん今日はここが限界と、私は約400mの高度差に心配しながらも頂上を目指す。カメラだけ持ち、アイゼンは友の背に歩き出す。雪道を一時間ほど登ったところで左の太腿が硬直してきて痛くなり、「先生足が攣った」と叫んでしまった。岩崎先生が直ぐ駆けつけ「ゆっくり休んで筋を伸ばしてみましょう」仲間の一人が塩を持っていたので、舐め、マッサージをして温め、岩に足を乗せストレッチをしたら痛みが取れ、先生が後からサポートをして登り出す。今度は右に痛みがきたが、伸ばしただけで歩くことが出来た。「ゆっくりでいいですよ」先生の優しい声を後ろにそれ以降は順調に登れた。私のアイゼンを持つ友が「もう一緒に降りよう」と心配しながら待っていてくれたが、「頂上が眼の前ですよ、ここまで来て勿体無いですよ」の先生の声に「私はもう大丈夫だから一緒に登ろう」青空も見え、ガスの切れ間に槍の姿が何度も見え隠れしている常念岳頂上(2857m)に着いた。「登れてよかったね」の友の声に涙ぐむ。雪の常念岳は、もう今回限りかもしれない。そんな思いが去りがたく、友の早く降りようの声も遠く暫く佇んでいた。 アイゼンを付けた雪の下りは夏道の岩をジグザグに降りるより楽に小屋に着く。小屋の周りのテント場は黄色やブルーが10張り位あり色鮮やかだ。
 翌日4時位から皇太子がこの山へ登られた時の休憩室で、槍の朝焼けを待つカメラマンが数人、でも雲ひとつない好天で朝焼けにならず残念である。
 夏道は、何度か燕岳から大天井岳を登り横通岳から降りたが、今回は雪道を
反対に大天井岳までのコースである。雲ひとつない快晴の中、軽いザックで
稜線漫歩、満足で何も言うことがない。亡くなった友のことや、家族の介護で
山行が出来ない友、足を痛めて山を諦めている友へこの景色を心より贈りたい。
 岩崎先生の計らいで私たちグループ女性6人は時間の許す限り稜線上でたっぷり自然からの贈り物を瞼に焼き付けた。
 こどもの日、朝から昨日とは大違いの天候で曇り、槍も雲の中に姿を隠し、未練も無く山を降りる。初日に苦労した胸突八丁を先生達が下でセーブした所へ男性達が尻制動で滑り降りる。私たち女性3人も堪らず滑り降りた。童心に戻り、贈り物を貰った気分である。しかしピッケルで止める訓練をし、きちっと止められなければ安易に滑り降りてはいけないと岩崎先生に教えられた。下りは早く、王滝ベンチに着く。ここにある水場は美味しく、空の水筒へ入れお土産にする。途中の山の神様へ御礼をして一の沢登山口に無事に戻り終わった。
 この山行は反省点がたくさんある。トレーニング不足や日焼け対策が万全でなく、雪山での紫外線の強さで、赤く焼けど状態の顔とたらこ唇が辛く、鏡を見る度に反省した。でも、カメラードの心をこんなに暖かく感じたことと、先生方3人の山を通しての深いがり(カメラード)を身近に感じ、山での高い技術を見ることが出来た機会に感謝したい。

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