花ある風景(310)
並木 徹
「短編小説の面白さを実感する」
毎日新聞社会部時代の友人、山本祐司君が主宰している「ルパン文芸」から「ショートショートB」が送られてきた。会員の作品が14編収められている。面白いことに女性陣の作品には「夫の浮気」がさまざまな形で取り上げられ、面白く読んだ。作者の実体験とは思わないが、世の多くの奥さん方を悩ましている問題で、ときには事件を起こし。ときには離婚沙汰となっているのが世情の常である。「浮気は神の過失」と弁解した人もいる。今回の短編で私の心をとらえたのは、宮原靖代さんの「らいの恩返し」であった。愛犬に芸を仕込んで浮気をして今はボケている“夫を殺す”という筋書きである。もちろん文体はソフトで「不作為の作為」で夫を死に至らしめるというもので残酷さを感じさせない。だが、考えてみれば実に怖い短編である。
電車の中の席で隣あわせになった60代の女性の会話から始まる。女は身の上話をする。入退院を繰り返す母の看護をしている間に夫は女を作って家に戻らなくなった。5年前ボケて女から見捨てられ、荷物と一緒に小型トラックで夫が帰ってきた。夫が家を空けること13年と10ヶ月。その間夫からお金は送られてきた。母は夫が戻る半年前に亡くなった。「お一人で淋しくなかったか」と聞かれて「らいちゃんがいましたからさびしくはなかった」と答える。相手の女性は「らいちゃん」を息子と間違えそうになるが犬であるとわかる。その犬は2日前に心不全で死ぬ。女は言う。「敏感な子でしてね、私の心の内が怖いほどわかる子でした・・・・」その犬に「たま子」と名付けたぬいぐるみを与え、隠したたま子を探し出すと好物のビーフジャーキーを褒美に食べさせるようにする。ぬいぐるみをボールのように投げたりバケツの水のなかに入れたりする女の異常さをさりげなく書く。ある時彼女が投げたたま子をらいより先に夫が拾い、たま子、たま子と頬ずりしていつまでもたま子をらいに返さなかった。怒ったらいは夫の裾にかみついた。そのらいを払い除こうとして縁側から転げ落ち靴脱ぎ石のかどで頭を打ち出血多量で死ぬ。目的地に着き降りようとする相手の女性に女は言う。「奥さん、たま子というのは夫の女の名前です」。この落ちが素晴らしい。さらに私が感心するのは犬の名前である。市川雷蔵が女のフアンであったから付けたとういう。雷蔵といえば“眠狂四郎”(1963年から1969年・大映京都)である。シード犬「らい」は無双円月殺法よろしく相手を見事しとめる。らいを登場させたのは行間に“隠された殺意”をにじませたと私はみる。深読みか。
菊池寛がよくいっていたそうである。「日本人は短編小説の名手だよ。もし日本語が国際語に近かったら、モーパッサンに負けないくらいの評価が得られる」(池島信平対談集文学よもやま話上・文芸春秋刊)。 |