2008年(平成20年)5月1日号

No.394

銀座一丁目新聞

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追悼録(310)

光丘ゴルフ会解散す

  寄る年波に勝てずという。昭和59年6月から続いた大連2中の同窓生のゴルフの集い「光丘ゴルフ会」が平成20年4月16日で解散した。続けること25年、回数でいえば58回。敗戦で廃校になった中学校であるから24回生が最後で年齢も76歳に達する。第1回以来世話をしていただいた高畠正敏さん(14回生)が平成18年7月7日死去されたことも解散になる大きな理由の一つである。高畠さんは几帳面な方でゴルフ大会が終わるごとに「報告書」を出席者に配布された。それには当日の成績表だけでなく、感想や出席者の近況、欠席者の理由、会計報告などもつづっている。最後となった58回ゴルフ会(平成16年11月25日木曜日・快晴・立川国際CC)を見ると、参加者13名(毎回参加者は15名前後である)。高畠さんは「青木さん(浩・4回生)は92歳で華麗なスイングで感心しました」と感想を書く。ちなみに青木さんのスコアはIN64、OUT70,H27でNET107、10位。各自が出欠のハガキに書いた近況も紹介をしている。それによると、青木さんは、「一人世帯にも慣れてヨーガ体操、ゴルフ、パソコン、クラシック、ポプス、カラオケなど楽しんでいます」。柴田さん(文二郎・14回生)は「10/23同窓会(大連2中校友会「光丘会解散大会」)、14期会共に盛会でしたね。おかげ様で楽しい心に残る会でした」などとそれぞれしたためている。この日の優勝者は浦島幸昌君(20回生)であった。あとの世話役を引き受けた首藤元男君(19回生)の話によればゴルフ会よりも「さよならパーティーがよいであろう」ということで4月16日東京・新橋の「新橋亭」で開いた次第である。
 出席者は12名。川西弘さん(10回生)は5月の大連祭りに参加する日本の旅行団の中から選んだチームと中国のテニス協会チームとテニスの親善試合の話が進んでいると話をされた。川西さんは日清製粉に勤務時代、美智子様にテニスを教えられたことがある。桑本繁君(23回生)が「残った大連2中の資料をすべて玉川大学の図書館に寄贈した。大変喜ばれた」と報告する。太田豊君(19回生)は自宅近くのマンションの一室を借りて同窓生のための「サロン」を開いているという。毎土曜日午前11時ごろから夕刻まで雑談をする。中には弁当持参で楽しんでくる者もいるそうだ。それで「亭主在宅症候群」の奥さんの病状が少しで良くなればよいことだと思う。2中健児は昔も今も女性に優しいのである。

(柳 路夫)

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